2019.12.23 怒鳴り合い
「情報共有」として、
ケアマネさんが送ってくれたメール内に、

”毒父が一人で杖をついて散髪に行ってしまっていた”

と書いてあった。


あれだけ、うちの夫も私も姉も、

「一人で杖を使って外に出ない」

「もし一人で外に出て倒れて、誰にもみつけてもらえなかったらどうするの」

「頭でも打ったらどうする」

「一人で外に出て怪我でもして入院となったら周りの人間が大変」

・・・と言っているし、
ケアマネさんやヘルパーさん、デイサービスの方々も、

「まだ一人で外には出られないんですよ」

「理学療法士さんからのOKが出てないからダメですよ」



と伝えているのに。






毒父の言い分は、

「バスに乗ったとかじゃなくて、近くの店に行っただけなんだから!!」

「お父さんが自分で、大丈夫だと思って外出したんだからいいんだよ!!」


挙句の果てには、今月15日に、
私が家の中に貼ってきたA4の紙(「家のリハビリ無しでは
外に出て歩けるようになりません」と書いた紙)に対して、

「家の中に、あんなもんベタベタベタベタ貼るんじゃないよ!!
”こんなもの貼ってて嫌がらせしてるの?”って笑われたよ!!!」


私:
「誰にだよ!」

毒父:
「誰が言ったか言わないけどな!!」




お前が紙に書いてないと忘れちゃうから書いて貼ってたんだけど。

だったらちゃんと家でリハビリやれよ。

相変わらず
「デイサービス(火・木のみ)でリハビリやってるんだから!」
と言うしね。
一週間に2回だけのリハビリで歩けるようになったら苦労しねーけどなーーー。









他にもたくさん怒鳴り合いをした。
10分ぐらい電話で話していたと思うが、その9割が怒鳴り合い。


電話の冒頭、私が

「お父さんサ、一人で杖使って外に出たんだって?」

とフツーーーーーーに言うと、

毒父:
(情報が)早いねぇーーー。誰から聞いたの?

私:
ケアマネさんからメールでね。

毒父:
電話で聞いたの?

私:
いや、だから、メールでね。

毒父:
あぁそう。メール。


私:
お父さんサ、一人で外出して転倒でもしたら危ないよ?


・・・と言うと、前述のように、


毒父:
バスに乗ったとかじゃないんだよ?!!散髪しに行っただけなんだから!!


・・・と切れだした。




私:
いやだからサ・・・・そういう問題じゃないんだよ!!
何度言えばわかるのかな?!!
バスに乗ってないからいいとか、そういうんじゃないんだよ!!



毒父:
お父さんが、自分で大丈夫と思って外に出たんだから!!!




・・・・これの繰り返し。





もっと喋ったけど(でも10分ぐらい)内容が細かく思い出せない。


やはり怒鳴り合いというのは脳みそにもとてもよくないのかもしれない。


とても、とても疲れた。
ぐったりだ。

しかし毒父も疲れてるだろう・・・・・・・という気配りなぞしない。






私は今日の毒父との怒鳴り合いの中、心臓がバクバクし、
上唇も下唇もカピカピに乾いてきて、喉も痛くなってきた。


やはり毒父は今も十分、DV気質が残っている。
80代のジジイのくせに物凄い勢いで何度も怒鳴っていた。
私よりも大きな声を出さないと言い負かせないと思ったのか、
かなりな大声だった。



今回も、電話じゃなければ私は応戦できなかった。
これからもそう。
毒父の目の前で今日と同じ会話ができるかと自問すると、ゼロだ。


今年の7月にもこういうことがあり、
私は幼少期のトラウマから毒父を恐れていることを痛感した。





年の瀬も押し迫っている時に、
なんでこんな不快な想いをしなくてはならないのか・・・。




年明け6日から、胃腸科と眼科の通院同行が入っているが、
姉と私が行くか、夫が単独で行くか、まだ全く決まっていない。



それよりも毒父の奴、
今年の10月頃におせち(お重)を頼みやがって(凄くしつこかった)、
無理やり、姉と私ら夫婦を年明けに来させようとしてしまった。
こっちも断れなくて行くことになっている。



しかし今日みたいな怒鳴り合いをして、
10日後ぐらいにシレッとして「おめとうございます」の挨拶?


おそらく毒父は、今日、私に怒鳴った事などすっかり忘れ、
平気な顔してお重をバクバク食うのだろう。




正直な気持ちは、行きたくない。
年明けから不快な顔など見たくない。




早く消えてくんねーかな・・・・。
あんな奴の世話なんかマジでしたくないのに・・・・。






さっき毒父から電話。
腹立たしいこと、この上ない。



結局カステラの件は、あれから色々とあり、
こっちが代わりにネット注文をしてやり、配達先を毒父にした(代引き)。
カステラは今日届くことになっており、
明日の通院同行の際に、毒父が持って病院に行くことになっている。
姉と私は明日、
「第三回モラハラ毒父の通院同行」 が待っている・・・・。



最初はクレジットカード払いにしようかとも思ったんだが、
あの毒父は前に、こっちが掃除機とカミソリと、
デイサービスで使うバスタオル&フェイスタオル、
しめて18,000円を立て替えた事を、
わざと忘れてるのか本当に忘れてるのか、こっちに返さないので、

今回のカステラ一万円の件も、クレカ払いで立て替えてやっても、
毒父がこっちにカステラ代を返さない可能性があり、
それはどうしても避けなければならないので、代引きにしてやった(スッキリ)。




それで、カステラは先月の25日に発注、その日の夕方に毒父から電話があった際に、
「時間指定は午後2時~4時にしたから」
と告げた。
その時間指定に関して、毒父は何も言わなかった。


2時から4時にした理由は、
「午前中」の指定にすると、
朝9時(あるいは8時台?)~お昼12時までの間になってしまい長いし、
夕方だと待ちくたびれるかもしれないと思い、
午後の2時~4時到着にした。



なのにさっき電話があり、
「カステラ、何時に着くんだっけ?」
と言ってきたので、
「午後2時から4時」
と答えたら、


「午前中にすればよかったのに~~~~」

と、またあのダミ声で言ってきた。


イラッとしたが、抑えて、
「なんで?」
と聞くと、


「だってなんかもうサ~、いつ来るかわかんないしさ~~~~」


私の心の叫び


おまえがせっかちで、
待つことができないからだろ!!!!
自分で買うこともできないんだから、
黙って待っとけ!!





「お父さんサ!こっちが代わりに頼んでんのに、そんな言い方ありますか?!!」


と言ったら、黙りやがった。




更には、

「明日、8時10分頃に出発しようかと思ってんだけど~~~~」

などとも言ってきた。



さんざん私が
「朝は5時起きだ、お姉ちゃんはもっと早い」
と伝えているのに、まだわかっていないらしい。
8時10分に出発するということは、
それだけ早く姉も私もそれぞれの家を出なくちゃいけないことになる。



「8時10分なんて無理ですよ!
電車の本数もバンバンあるわけじゃないんでね!!」


いちいち説明するのがバカらしくなってくる。





「いつも朝はやく来てもらって悪いね」
くらい言われるならまだしも、
こっちの都合も考えずに時間指定するバカいるかよ!!
お前が、これまたせっかちだから、
早く病院に行きたいってだけだろ!!





自分勝手。
配慮ができない。


しかも(おそらく)配慮する相手を選んでやってるのも腹が立つ。
現在だったら、
うちの夫、自分の友達(たった一人)、
ケアマネさんやヘルパーさん、デイサービスの人。
自分を嫌うと困る相手には、強く言わない。
ケアマネさんに実情を簡単にメールしたら驚かれたぐらいだ。
「そんな風に見えなかった」と。


モラハラ毒父は、
表と裏の顔を分けているので周りからは見えにくい。




ほんとイヤですねー。
よくこれで80数年も生きてこれたよ。
おそらく、周りの人間を台風みたいに巻き込みながら、
好きなことを言い、勝手なことをやり。




そうそう。
さっき電話を切る時に、毒父が、

「カステラ代、払っとくから~~~~」

とぬかしやがった。




お前が
”胃腸科の先生にカステラを毎年あげてる”
とわがままをぬかしたから、こっちがネットで手配したまでなんだけど。


なんで
”俺が代わりに払っとくから”
みたいな言い方になってんの?
アホか?




あぁ・・・。
明日の通院同行、死ぬほどイヤだなぁ・・・・。


またマウンティング炸裂なんだろうか?


毒父のカネが無いから、
そう簡単にヘルパーさんに通院同行を頼めないわ、
通院同行をする身内を、
たった三人(姉、うちら夫婦)で回してるわ。
八方塞がりでどうにもできない。


最終更新 2016年7月4日



ピアノ教師の思い出。
以前にも何度か書いてるけど・・・。



”まだ書き足りないのか?” って感じで・・・(; ̄ω ̄)ゞ


マジで怖かったな…。
ピアノの譜面に、赤いサインペンで殴り書き。
「イチトオニイトオサントオシイトオ!!!」
って。
譜面の枠外に大きな字で書く。
怒って書いてるから、字も下手くそ。


私のほうもバカなもんだから飲み込みが悪くて、
その教師をイライラさせることも多かったと思う。


「何度言ってもわかんないのね、アンタは!!」
「ばっかじゃないの?!!!」


・・・などと怒りながら、
赤いサインペンを譜面台にポン!と投げるように放って、
呆れたように背もたれにバサッと寄りかかる姿が浮かんでくる。


何故か(?)上下黒の服装が多かったような印象がある。
黒いTシャツに黒のスパッツとか。
そのイメージが強い。
髪は肩すれすれのボブ。


・・・それにしても、ひでぇ先生だったと思う。


”そんな先生、イマドキどこにでもいるよ?”
と思っている人は、
たぶんここのブログを読まないかもしれない。

「私には」 キツかった。
あの先生に出会わなきゃよかった、とも思う。



最初はオルガンだった。
毎日通っていた幼児教室の先生が、
同時にオルガンの先生をやっていた。
すっごく、やさしい先生だった(*´∀`*) ほわぁぁぁん


オルガンからピアノを薦めたのが、
この優しい先生だったのか、
それとも、我が家(私)の方から
「ピアノをやりたい」と言い出して、
それでピアノ教師を紹介してもらったのか、
その辺りが曖昧。、

そして
”オルガンに慣れてしまっていると、ピアノに切り替えた時に、
鍵盤を叩くチカラが出ない”

という話をしていたのは、
優しい先生の方からだったんじゃないかと思う。

とにかく我が家ではオルガン一台を破棄し、
ピアノ(グランドピアノじゃないやつ)を購入した。
アップライトピアノっていう名前だと、この歳で初めて知った(恥)


あの優しい幼児教室の先生(オルガンの先生)は、
あのピアノ教師が、
もんのすげーーーーーおっかない教師だって事は、
知らなかったのだろうか・・・。


あのピアノ教師は、
躾にも厳しい先生だった。
挨拶を忘れると、やり直しをした。
何度か爪を切るのを忘れてレッスンに行き、
爪切りを渡されて
「そこで切って」と指示された(庭に面した廊下)。


また、レッスン中に、
自分の娘(2~3才くらい)が甘えたくて足元に寄ってくると、

「●●●(娘さんの名)ちゃん!後でお風呂場ね!
いいの???
後でお風呂場よ?!!」

とまた怒鳴った。


おそらく、お風呂場に閉じ込めるとか、
そういう意味合いだろうと思う。


娘さんが怒られてると、
私が怒鳴られているようで、いつもドキドキした。
声楽家出身だから、声がでっけーんだよね…。
だからなのか、怒る時の声も超でかい。


あの人は、常に、
ピリピリピリピリとヒステリックに怒っていた。


前の日記でも書いたけど、
一度だけ平手打ちをされたことがあった。


私が、何度ピアノ教師に指摘されても、
指示通りに引けなかったことが原因だったと思う。
イライラがピークに達したのか、平手が飛んできたのと同時に、
何か言葉を放ってきたと思うけど、
その言葉は思い出せない。


”平手打ちするほどのことでもなかったんでは・・・?”
と、高校生くらいになってから思ったこともあった。


レッスンをやめて数年経ち、20代の頃に、
「あの先生、妊娠中だからイラついて怒ってたのかな?
と思ったこともあったけど、
妊娠してなくてもイラついていたので、
たぶん慢性的なイライラ?・・・と思った。


この話は過去ログでは書いてなかったけど、
風邪で一回レッスンを休んで、
練習が暫くできなかったことがあり
次のレッスン日に、ピアノ教師の前で弾けなくてボロボロだった。


そしたら確か、

「どうせ仮病だったんでしょ」

みたいなことを言われて、
レッスンの後、帰宅して母親にチクった。

そしたら、珍しく母にしては私に同情(?)してくれたのか、
直接先生に電話をしてクレームを言っていた。
「嘘じゃありませんよ、うちの子ほんとに風邪でしたよ」
みたいな感じで。


記憶が曖昧でもう思い出せない。
母のほうから、
「ピアノ、やりたいのね?」
「続けるのね?だったらピアノを買ってあげる」
などと言われたのかどうか。

それとも母親が強制的にピアノをやらせたのか。


過去ログでも「やめさせなかった母親も同罪」
と書いてしまったが、
もしかしたら、
やりたい、と言い出したのは私のほうで、
「言い出したなら最後まで」じゃないけど、
それが理由で母親が私のピアノを
やめさせなかったんだろうか…?
あんなに毎回レッスンで、
怒られてる、泣かされてるのを知ってるのに。


母親に「やめたい」と何度直談判しても、
「ダメ」と言われてやめさせてもらえなかった。


これも過去ログでは書いていないが、
実は姉はピアノのレッスンをやめさせてもらえたのだ。


これは私が成人を過ぎた頃に母親から聞かされた話だが、
当時の姉は相当精神的に参っていたらしく、
夜中に起きて、夢遊病者のように両親の寝室にまで行き、

「お母さん・・・私、ピアノやめたい・・・」

と言ったらしい。

危険を感じたらしき母親は、
姉がピアノのレッスンをやめることを承諾した。


けれど私が何度か「やめたい」と言っても
受け入れてもらえなかった。


「お姉ちゃん、やめさせてもらえたじゃん。
なんで私だめなの?」

というようなことを言ったと思うが、
「ダメ」の一点張りだったと思う。


私だって相当、精神的にボロボロだったのに・・・。
夜中に起きてきて直訴したことの方が
「重症」だとでも言うのかよ・・・。


母親の「見栄」もあったのか?
”上の娘は仕方ないからやめさせるけど、
下の娘までやめさせてしまうと・・・”
みたいな。


私もバカだったよなぁ。
後日談を母親から聞かされてる時に、
色々と母親に質問できるチャンスだったのに。


レッスン毎回のように泣かされていたこと、
厳しくて嫌で仕方なかったこと、
誰が最初にレッスンをやらせたか、
私からの希望か、それとも母親か・・・等々。
(まぁ、訊ねても本当の事を言うかどうかは謎だけど・・・)


たぶんバカな私のことだから、
母親から姉の話を聞きながら、
「ふーーん、そんなことがあったんだ」
という程度で終わらせたと思う。


ACに気づいていなかった、というだけで、
こんな大事な場面を逃してしまうとはな・・・。
もう母親が死んでるんだから真相も聞けやしない。


もしかしたら、姉も、
”ここまでやらないと親はピアノをやめさせてくれないだろう”
と見越して、
わざわざ夜中に起きて言いに行った・・・という、
手の込んだことを姉がするかどうかはわからないが、
とにかくアイツは

「イチ、抜-------けた♪」

となったわけだ。



ちなみに、レッスンで叱り飛ばされていたのは、
私だけではない。

とても巧くて優秀な生徒がいて(私と同じ学校の同学年)、
その子以外はたぶん叱られていたと思う。

私のレッスンの日に、
私の前の順番でレッスンを受けていた子も、
やはりガンガン怒られていた。



最初、姉と私はレッスンの曜日が同じだったのだが、
このピアノ教師は、
すぐに私達姉妹を別々のレッスンの曜日に変更した。
とりたえて教室でうるさく騒いだなどの
落ち度もないのに。


やはりむちゃくちゃ神経質なピアノ教師だったんじゃないか?と思う。


今頃どうしてんだろうなぁ、あの先生。
もう70代くらいになってると思うけど。

会いたいとも思わない。



自身が30代くらいの時にピアノ教師の仕事をしていて、
教室の生徒をやたらに叱り飛ばしていたことって、
70にもなると忘れるのかな・・・。


憶えたまま生きててほしいと私は思う。
出来れば後悔もしてほしい。


そんで、あの時と人格が変わってないんだったら、
ピアノ教師なんか今もやっていてほしくない。
私みたいに、
ほぼ毎週のレッスンで泣いてたような子を
作ってほしくないと思う。

最終更新 2016年7月4日


もうすぐ夫が帰宅すると思うので、サクッと。


小学校4年か5年か6年か(担任は3年間同じ)。
いつも、だいたい完食できる給食が、
その日は何故か食が進まず食べられなかった。


同級生はみな、給食を終え、
校庭に遊びに行ったり、思い思いに過ごしている。


私は、完食できていないため、
担任のセンコー(以前も書いたけど、コイツが大嫌い)が、
休み時間を与えてくれなかった。
どういう風に言われたか忘れたが、とにかく、
「食べ終えなさい」という話だったと思う。


一人で椅子に座って、
自分の机の上の給食を前にしている自分。
でもどうしても食べられない。


確か、揚げパンだったような記憶がある。
揚げパンは好きなのでいつも難なく食べていた。
何故食べられないのか自分でも全くわからなかった。


そうこうしているうちに、
休み時間も終わってしまった。
これも、どういう風に言われたか覚えていないが、
「食べられないなら仕方ないから片付けなさい」
的なことをセンコーから言われたと思う。


私は翌日か翌々日に学校を休んだ。
風邪だった。


バカ担任。
子供の気持ちになって考えられない、
子供の気持ちに寄り添えないセンコー。


ありえないな。
人選まちがえましたな、あの小学校は。
あんな奴が担任やってんだから。
おかしいだろ。
「具合でも悪いのかな?」
の一言も、そいつからなかった。

それとも私のほうから、
「いつも食べられるのに食べられないんです」
くらい言わなくちゃイカンかったのか?

あいにく、そんな賢いアタマじゃないんでね・・・。

私の周りには、親以外にも、
変な大人が何人かいた。
この担任のセンコーもそうだし、
過去ログでも書いたけど、
ものすごーーーーーく厳しすぎる、
異常にヒステリックなピアノのセンコーもいて。
コイツには毎週のように泣かされていた。

左手の甲にも痣を作ったことがあるし、
左頬を軽く平手で一度だけ叩かれた事もある。

このピアノのセンコーは、
今で言ったら児童虐待のうちに入るだろう。

私の左側で、
私の左耳が遠くなりそうなくらい、
大きな声で叱り飛ばす(怒号に近い)ヒスババア。
頭がおかしい。

担任のセンコーよりも、
このピアノ教師とのやりとりのほうが、
もしかしたら幼少期の私に、かなり傷を作ったかもしれないな。
ピアノレッスンの後、
夜道を泣きながら帰ったことも数知れず。

私がレッスンから泣きながら帰ったことを、
おそらく知っていながら、
そのピアノを絶対に
やめさせてくれなかった母親も同罪だ。



おわり。