ケアマネさんから連絡が入ったのは8月6日だった。

その日デイサービスに行った際、毒父が、

「8月3日から両手が痺れている」

と言ったらしい。
しかし生活できないほどではないとのこと。

「大事を取って今日の入浴は中止し、ベッドで横になってもらっている」
とケアマネさん。


更に、
「もし悪化するようでしたら明日病院に・・・」

と言われたので、

「すみません、明日は私、通院なんですよね・・・」

と言って断った(メンクリに予約済みなので無理)。



「それでは今日、念のためにお父様にお電話していただけますか?」

と言われしまい、
渋々ながら夕方6時頃にでも掛けようと思ったら、
毒父のほうから電話が掛かってきた。


毒父「今日、誰かから電話あった?」

でで「あぁ、ケアマネさんから電話あったけど。」

毒父「なんて言ってた?」



(なんでいつもこうまわりくどいんだろう?)


でで「両手が痺れるとかなんとか。
夕方に電話してあげてくださいって言われたから、
こっちから掛けようと思ってたんだけど」


そしたらいきなりまくしたてる毒父。
私の大嫌いな、あの毒父特有のダミ声で。

「8月3日からねーーー。
両手が痺れるんだよ。
ででむしは、なんでだと思う?」



でで「わかりませんよ、私は医者じゃないんだから」
などと、井戸おやじのような口調で言ってやった。
(井戸おやじ=モヤさま参照)



毒父「明日ね、かかりつけの胃腸科に電話で聞いてみようと思ってね。
この痺れはなんですか、って」



”・・・・勝手にしてくださいよ、もう”


でで「そうね」

毒父「じゃあな」




・・・・なんのための電話だったんだ?
俺の両手が痺れてますアピール?



”電話して聞いてみようと思ってる”
と自己解決してんなら、
いったいなんのためにこっちに電話をしてきたのか?



・・てか、「ででむしは、なんでだと思う?」

ってナニ?
バカなの?






そして毒父から、翌日7日(水)の朝っぱらからまた電話が入り、
私は通院の支度で忙しかったため、
「私これから医者に行くんだよね。忙しいんだけど」
と言っているにもかかわらず話をやめず。


「かかりつけの胃腸科に電話したら、
映像研究所ってところに予約が入れられるかどうか確認して、
また連絡くれることになったからぁぁぁーーー。
ダンナって今週の土曜日休み?」

(実際には、ふがふが喋っていてとても聞き取りにくい)


「休みですけど?」

「わかったー。じゃあな」



少ししたらまた電話がかかってきた (-_-;)


「なに?だから出かけるところで忙しいんだけど」


「あのね、今日の12時に、
映像研究所ってところが迎えに来てくれることになったからぁぁぁーーー」


「あ、そう。お世話になってね」


で電話を切った。




たぶん、私がメンクリから帰ってきてから、
午後にまた毒父から電話があるな・・・・と覚悟はしていたが、


暑い中、チャリを漕いで帰宅して、速攻で水シャワーを浴び、
やれやれ・・・と落ち着いて、遅い食事を摂っている最中に電話!!!


本当にムカついて嫌だったが、仕方なく電話に出た。


なんのことはない。
ただの事後報告。
レントゲンを撮ってもらったらしい。
しかし急を要する症状ではないとの判断があったため、
胃腸科の先生の方から
「予定通り24日(土)にいらしてください^^」
と言われて終わったようである。



私は、
「整形外科じゃなくて大丈夫なの?」
と言った(後述)。

毒父は
「いいんだよ」
と言った。

私は
”あっ。そう”
って感じだった。





8月11日(日)に夫と二人で実家に行った際、
目に見えて両手が震えているということでもなく、
普通に箸も持ってメシを食っていた。


・・・いったいなんだ???
どこが痺れてるのか?





そして、17日(土)の夕方に電話が掛かってきた。



私が最初に出ると

「ダンナいる?」

と毒父が言ったため、
夕寝から目覚めたばかりの夫に電話を代わってもらった。



5分程度で電話が終わり、私が、
「なんだった?」

と聞くと、

「全然急ぎじゃない話。」

「・・・え?そうなの?またくだらない内容?(´д`;)」


「なんか、新聞の記事で、
頸椎がやられてると手が痺れるとか書いてあったんだって。
でも俺も医者じゃないから、
結局24日(土)に病院に行って、ちゃんと先生から話を聞いて、
整形外科に行ったほうがいいのか指示を仰ぐしかないよね」


と言った。




前述のとおり、
私は7日(水)の午後に「整形外科じゃなくていいの?」
と言ったが、
それを最初に毒父に電話で促したのは夫である。


夫が毒父に、

「痺れって・・・胃腸科じゃなくて整形じゃなくて平気ですか?」

と言ったのだ。

それを遮り、
自分で胃腸科に電話して、
レントゲン撮影の手はずを整えたのは毒父自身である。






そしたらまたきのう(18日)の午後に毒父から電話。
着信を見てウンザリ。
なんで連日かけてきてんの??




でで「はい。なんですか」  ←  毎回すんげー嫌な声

毒父「ダンナ、いる?」

でで「なに?なんの用?}

毒父「大事な話」

でで「うちの旦那さん、寝てんだけど」 ← 大嘘w



毒父「寝てんの?じゃあまた後で掛けるよ」

でで「なに?両手が痺れるとかの話?」

毒父「そう」


でで「なに毎日電話してきてんの?
お父さんサー!!
私言ったよね?
両手が痺れるって言ってた時に、 
”整形外科に行かなくていいの?”って。


毒父「え~~~?」  ← イラついてそうな声


でで「そんとき、”いいんだよ”、って拒否したよね?」


毒父「お父さんそんなこと言ったっけ」


でで「整形外科だったら、もっと詳しくわかってたんじゃないの?
でもしょうがないよね、24日の胃腸科まで待つしか。
うちの旦那さんに何を話すの?!
話を聞いてもわかんないよ?
医者じゃないんだからサ!!」



毒父  「わかった!!」   ← 逆ギレ



私は毒父から怒鳴られるのかという考えが起き、
急いで自分から電話をブチッ!!と切った。



電話の後、15分ほど、動悸が止まらなかった。
すでに会話の後半から心臓がバクバクしていた。



以下の全ての日程で、
両手の痺れのことを話していたわけではないが、
最低3回は痺れの話を挙げていたと思う(対応は夫が多い)。



-----今月初旬から今まで、毒父から電話があった回数-----

8月2日(金)・・・・・9:52
8月6日(火)・・・・・17:19/ 19:31
8月7日(水)・・・・・8:51/8:59/14:49
8月11日(日)・・・・ 7:40
8月14日(水)・・・・ 9:59
8月16日(金)・・・・ 8:41/16:42
8月17日(土)・・・・ 17:30
8月18日(日)・・・・ 15:38

--------------------------------------------------




・・・・一日に2~3回。
そして3日連続とか。


いい加減にしてくれよ!







今回の口喧嘩で、
24日(土)に姉と二人で毒父を病院に連れて行く際に、
仕返しで色々と言ってくるような気がしてしまう。




2019.07.16 威嚇
2~3時間ほど前に、姉から電話があった。
毒父との電話を終えて、すぐに私に掛けてきたらしかった。



電話に姉が出たら、毒父が急に



「スーパーのビニール袋
どこにやったーーー!!!」




・・・と怒鳴ったらしい。


入院中、リハビリの先生が遅れただけで「遅い!」と言って怒った話




先週の土曜日、姉が一人で実家に行き、色々と用をこなした。
近所のホームセンターで必要な物を購入したりもした。
その時のビニール袋をどうしたのか、という話らしいのだが、


「(ビニール袋を持ってたのを俺は)見てたんだからな!!」


・・・ということも言ったらしい。
(なんだか物言いがおかしくないか??)



姉は、

「だったらその時に、
”ビニール袋つかうから、こっちに置いといて” とか言えばいいじゃん!」

と言い返したら毒父は黙ったそうだが、


ハウスクリーニングの後、
毒父が探してる物がことごとくみつからないのは、
やはり、ここ と  ここで書いた通り、私が原因だと思い込んでいるらしく、


「ででむしを叱ってやる!!」



・・・などとも姉に息巻いていたそうで、姉は


「あの子(ででむし)が一人で大掃除したんじゃないからね?!
私と、◎◎さん(ででむし夫)と 
3人で片づけたんだからね!?


と2~3回、念押ししたとのことだが、毒父が理解していない可能性があるらしい。
それで危険を感じて、姉が私に連絡してきた・・・というわけだった。




その「叱ってやる!」というセリフは、
数日前、夫と毒父の電話の際にも言っていた。
その時は、姉に対して「叱ってやる」とかナンとか言ってたらしい(夫:談)。



・・・まぁ、私ら姉妹をいつまでも子供扱いしてんだろうね。
「叱ってやる」なんて上から目線のセリフは。




私は、ここのブログで今まで散々、毒父に対して毒を吐き続けてきてるが、
怒鳴られることに対して非常に恐怖感がある。



5月中旬からの一連の、
毒父の家ん中での転倒~汚部屋掃除~毒父入院~
ハウスクリーニング~退院から今まで、
私は単独で実家に行った事がない。
必ず夫と一緒に行っている。
7月4日・5日のハウスクリーニングには一人で立ち会ったが、
毒父は6日に退院だったので、家にはいない。



実家に、父親と私の二人だけいる・・・・という状況が一度もない。
今回の一連のことだけでなく、過去にも一度も。


それはやはり心の中では毒父を恐れているからだ。


トラウマ(鉄球を投げつけられる夢)


「脅し」と「平手打ち」




・・・それにしても。
弱い者、自分より下の者に対して、
怒鳴って威嚇する性格は相変わらず。



人間が小さい。人としても大嫌い。





うちの夫に対しては、かなり好意的だと思うので、
夫に対して怒鳴るなんてことは120%ないだろう。
私の家に掛ければ、そばに夫がいるのを毒父はわかっていると思うから、
私に怒鳴って電話をするなんてことは恐らくできない。
でももしかしたら、
夫が不在の平日の日中に此処に掛けてくるかもしれない。



今日は姉が被害を受けてしまったかもしれない。
本当なら、私に直接ガミガミ言いたいところを、
電話できないもんだから姉に電話した可能性もある。



何度も書いてきていることだけど、
あの汚れまくった家の中の大掃除をした私達に、感謝の言葉を送るどころか、
「~~が無い!」と何度か騒ぎたてて、更に今回は怒号。



あの酷い家の中を片づけ(処分)しなければ、
ハウスクリーニング業者も介入できなかったということを、
何故あのバカじじいはわからんのだろうか。



それとも「全て保管して取っておけ」とでも?
そんなこと出来るわけなかろう??



もっと言えば、使用済のオ〇ツを、
ベッド下や居間の隅っこに幾つも転がしていたり、
新聞の間に挟んでそのまま・・・だった。
おそらく、置いて(捨てて)いることも本人は忘れていたと思われる。
(これって認知症じゃないのだろうか?)



こういう汚れ物も取っておいたほうがよかったかw?



何が悲しくて、大嫌いな奴の捨てた汚物を処分しなくちゃならん?
姉も夫も片づけた。



大嫌いな奴のために無理して動いて(掃除したり必要な物を買い揃えたりetc…)、
挙句の果てには怒鳴られるって・・・・。
( ↑「まだ怒鳴られてないけど雷予報」 )



こんな理不尽なことって・・・・・。



・・・というか、今回の威嚇だって、
本当に、物がなくなったことに対して怒っているのか不明。
ストレスのはけ口にしている可能性もゼロではない。
思い通りに身体が動かないことの苛立ちでストレス発散とか。



いずれにしても冗談じゃねぇな・・・。
怒鳴る方は気持ちがいいだろうよ?
モラハラか?




あんな奴の為に大掃除なんかしたくなかったが、
動かざるを得なくなったから動いたまで。
包括センターの人から
「なんとか掃除してください」的な電話が来てしまったのだから。



正直言って、電話が来なけりゃ、知ったこっちゃなかった。
ゴミの中で埋もれようが。



借金の尻ぬぐいをしても、借金した本人が改心しないのと似ていて、
結局掃除した私らの方は「やり損」。
なんの得にもならない。
ハウスクリーニング終了後3日しか経ってなくても、
もうテーブルの上がゴチャゴチャと物で溢れていたんだから。




雷予報対策として、夫が言ってくれたのは、

「もし電話が掛かってきたら、
”〇〇(ででむし夫)に聞かないとわからないので後で聞きます”
とだけ言って、電話を切っちゃって?」

だった。

「そうすれば、どんな内容の話でも、全部俺に届いてるって、
お義父さんのストッパーになるかもしれないから」

と。


有難く、その手を使わせてもらおうと思う。

最終更新 2016年6月28日


「あんたって、身体うごかさないで、
口ばっかり動かしてんのねぇ」


このせりふ凄くよく言われたな。
でも私が20代でスキューバーダイビングを始めたら言わなくなったw



「あんたって、自分の頭のハエを追わないで、
人のことばっかり気にしてんのねぇ。
誰々さんが、こう言った、ああ言った、とか、そんな話ばっかり」


「ハエを追わない」って、
その言葉そっくりそのままお返ししますワ…。  



自分では全く意識していないのだが、
時々、決まった動作の時だけ、気づかぬうちに左手でやってしまう事柄があり、
それを話した時の母の反応。

「両きき?そんなの違うわよ」


なんだろう?
なーーーーんか、つまんなそうに言ってたんだよな。
「フン!」って感じの。
「認めたがらない」というか。
私が両ききっぽいと母に何か迷惑でもかかるのか?

とにかく、どんな些細な事でも娘に文句を言いたかったらしい。



「私、あんたみたいに、芸能人にキャーキャー熱あげるの、大っ嫌い」

その割には、私が20代後半に家を出て夫と暮らし始めたら、
その、芸能人の情報を私に教える為に、
よく電話かけてきたねぇ・・・。
「協力的」に見せて「見捨てられ不安」なのかね。 


たまに母のお友達から舞い込む鑑賞券で、
最前列とかで演歌ショーを数回見て帰宅した後は、
少し声がワクワクしてたぞ???

「キャーキャー熱あげるの嫌い」だったら、
そういうステージも見にいくなよ。

やっぱり結局ブレてんのね。
言うことに信念がないのね・・・。





「あんたって、色ぬるの、下手ねぇ。
どうして、グチャグチャグチャって、中を塗るの?」


よく母親に上記のように言われた。

幼少期の頃に絵を書いている時、
「縁取りをしてから中身を塗る」ということが、
面倒臭かったのか、苦手だった。
いきなり中を塗り始めていた。
塗り方も、グチャグチャグチャ・・・と汚かった。

現在は、ヨーモーフェルトを作る前に、
ノートに作りたい物の下絵を描き、色鉛筆で塗ることがあって、
その度に、上記の母親の言葉を思い出してしまう。





「アンタってヒステリーなのよ。
由◎さ◎りを見てごらん?青筋が入ってるみたいな感じ。
あれと似てんのよ」



ある意味すごいな、うちの母親・・・。
意地悪ばーさんとしか考えられない。


というか・・・ヒスは自分だったんじゃないの?
本当に、自分のことは棚に上げて、
あれこれ私を罵倒してくれたもんだよ・・・。



サンドバッグ代わりにしやがって!!!



最終更新 2016年7月4日



ピアノ教師の思い出。
以前にも何度か書いてるけど・・・。



”まだ書き足りないのか?” って感じで・・・(; ̄ω ̄)ゞ


マジで怖かったな…。
ピアノの譜面に、赤いサインペンで殴り書き。
「イチトオ ニイトオ サントオ シイトオ!!!(1と、2と、3と、4と)」
って。
譜面の枠外に大きな字で書く。
怒って書いてるから、字も下手くそ。


私のほうもバカなもんだから飲み込みが悪くて、
その教師をイライラさせることも多かったと思う。


「何度言ってもわかんないのね、アンタは!!」
「ばっかじゃないの?!!!」


・・・などと怒りながら、
赤いサインペンを譜面台にポン!と投げるように放って、
呆れたように背もたれにバサッと寄りかかる姿が浮かんでくる。


何故か(?)上下黒の服装が多かったような印象がある。
黒いTシャツに黒のスパッツとか。
そのイメージが強い。
髪は肩すれすれのボブ。


・・・それにしても、ひでぇ先生だったと思う。


”そんな先生、イマドキどこにでもいるよ?”
と思っている人は、
たぶんここのブログを読まないかもしれない。

「私には」 キツかった。
あの先生に出会わなきゃよかった、とも思う。



最初はオルガンだった。
毎日通っていた幼児教室の先生が、
同時にオルガンの先生をやっていた。
すっごく、やさしい先生だった(*´∀`*) ほわぁぁぁん


オルガンからピアノを薦めたのが、
この優しい先生だったのか、
それとも、我が家(私)の方から
「ピアノをやりたい」と言い出して、
それでピアノ教師を紹介してもらったのか、
その辺りが曖昧。、

そして
”オルガンに慣れてしまっていると、ピアノに切り替えた時に、
鍵盤を叩くチカラが出ない”

という話をしていたのは、
優しい先生の方からだったんじゃないかと思う。

とにかく我が家ではオルガン一台を破棄し、
ピアノ(グランドピアノじゃないやつ)を購入した。
アップライトピアノっていう名前だと、この歳で初めて知った(恥)


あの優しい幼児教室の先生(オルガンの先生)は、
あのピアノ教師が、
もんのすげーーーーーおっかない教師だって事は、
知らなかったのだろうか・・・。


あのピアノ教師は、
躾にも厳しい先生だった。
挨拶を忘れると、やり直しをした。
何度か爪を切るのを忘れてレッスンに行き、
爪切りを渡されて
「そこで切って」と指示された(庭に面した廊下)。


また、レッスン中に、
自分の娘(2~3才くらい)が甘えたくて足元に寄ってくると、

「●●●(娘さんの名)ちゃん!後でお風呂場ね!
いいの???
後でお風呂場よ?!!」

とまた怒鳴った。


おそらく、お風呂場に閉じ込めるとか、
そういう意味合いだろうと思う。


娘さんが怒られてると、
私が怒鳴られているようで、いつもドキドキした。
声楽家出身だから、声がでっけーんだよね…。
だからなのか、怒る時の声も超でかい。


あの人は、常に、
ピリピリピリピリとヒステリックに怒っていた。


前の日記でも書いたけど、
一度だけ平手打ちをされたことがあった。


私が、何度ピアノ教師に指摘されても、
指示通りに引けなかったことが原因だったと思う。
イライラがピークに達したのか、平手が飛んできたのと同時に、
何か言葉を放ってきたと思うけど、
その言葉は思い出せない。


”平手打ちするほどのことでもなかったんでは・・・?”
と、高校生くらいになってから思ったこともあった。


レッスンをやめて数年経ち、20代の頃に、
「あの先生、妊娠中だからイラついて怒ってたのかな?
と思ったこともあったけど、
妊娠してなくてもイラついていたので、
たぶん慢性的なイライラ?・・・と思った。


この話は過去ログでは書いてなかったけど、
風邪で一回レッスンを休んで、
練習が暫くできなかったことがあり
次のレッスン日に、ピアノ教師の前で弾けなくてボロボロだった。


そしたら確か、

「どうせ仮病だったんでしょ」

みたいなことを言われて、
レッスンの後、帰宅して母親にチクった。

そしたら、珍しく母にしては私に同情(?)してくれたのか、
直接先生に電話をしてクレームを言っていた。
「嘘じゃありませんよ、うちの子ほんとに風邪でしたよ」
みたいな感じで。


記憶が曖昧でもう思い出せない。
母のほうから、
「ピアノ、やりたいのね?」
「続けるのね?だったらピアノを買ってあげる」
などと言われたのかどうか。

それとも母親が強制的にピアノをやらせたのか。


過去ログでも「やめさせなかった母親も同罪」
と書いてしまったが、
もしかしたら、
やりたい、と言い出したのは私のほうで、
「言い出したなら最後まで」じゃないけど、
それが理由で母親が私のピアノを
やめさせなかったんだろうか…?
あんなに毎回レッスンで、
怒られてる、泣かされてるのを知ってるのに。


母親に「やめたい」と何度直談判しても、
「ダメ」と言われてやめさせてもらえなかった。


これも過去ログでは書いていないが、
実は姉はピアノのレッスンをやめさせてもらえたのだ。


これは私が成人を過ぎた頃に母親から聞かされた話だが、
当時の姉は相当精神的に参っていたらしく、
夜中に起きて、夢遊病者のように両親の寝室にまで行き、

「お母さん・・・私、ピアノやめたい・・・」

と言ったらしい。

危険を感じたらしき母親は、
姉がピアノのレッスンをやめることを承諾した。


けれど私が何度か「やめたい」と言っても
受け入れてもらえなかった。


「お姉ちゃん、やめさせてもらえたじゃん。
なんで私だめなの?」

というようなことを言ったと思うが、
「ダメ」の一点張りだったと思う。


私だって相当、精神的にボロボロだったのに・・・。
夜中に起きてきて直訴したことの方が
「重症」だとでも言うのかよ・・・。


母親の「見栄」もあったのか?
”上の娘は仕方ないからやめさせるけど、
下の娘までやめさせてしまうと・・・”
みたいな。


私もバカだったよなぁ。
後日談を母親から聞かされてる時に、
色々と母親に質問できるチャンスだったのに。


レッスン毎回のように泣かされていたこと、
厳しくて嫌で仕方なかったこと、
誰が最初にレッスンをやらせたか、
私からの希望か、それとも母親か・・・等々。
(まぁ、訊ねても本当の事を言うかどうかは謎だけど・・・)


たぶんバカな私のことだから、
母親から姉の話を聞きながら、
「ふーーん、そんなことがあったんだ」
という程度で終わらせたと思う。


ACに気づいていなかった、というだけで、
こんな大事な場面を逃してしまうとはな・・・。
もう母親が死んでるんだから真相も聞けやしない。


もしかしたら、姉も、
”ここまでやらないと親はピアノをやめさせてくれないだろう”
と見越して、
わざわざ夜中に起きて言いに行った・・・という、
手の込んだことを姉がするかどうかはわからないが、
とにかくアイツは

「イチ、抜-------けた♪」

となったわけだ。



ちなみに、レッスンで叱り飛ばされていたのは、
私だけではない。

とても巧くて優秀な生徒がいて(私と同じ学校の同学年)、
その子以外はたぶん叱られていたと思う。

私のレッスンの日に、
私の前の順番でレッスンを受けていた子も、
やはりガンガン怒られていた。



最初、姉と私はレッスンの曜日が同じだったのだが、
このピアノ教師は、
すぐに私達姉妹を別々のレッスンの曜日に変更した。
とりたえて教室でうるさく騒いだなどの
落ち度もないのに。


やはりむちゃくちゃ神経質なピアノ教師だったんじゃないか?と思う。


今頃どうしてんだろうなぁ、あの先生。
もう70代くらいになってると思うけど。

会いたいとも思わない。



自身が30代くらいの時にピアノ教師の仕事をしていて、
教室の生徒をやたらに叱り飛ばしていたことって、
70にもなると忘れるのかな・・・。


憶えたまま生きててほしいと私は思う。
出来れば後悔もしてほしい。


そんで、あの時と人格が変わってないんだったら、
ピアノ教師なんか今もやっていてほしくない。
私みたいに、
ほぼ毎週のレッスンで泣いてたような子を
作ってほしくないと思う。

最終更新 2016年7月4日


もうすぐ夫が帰宅すると思うので、サクッと。


小学校4年か5年か6年か(担任は3年間同じ)。
いつも、だいたい完食できる給食が、
その日は何故か食が進まず食べられなかった。


同級生はみな、給食を終え、
校庭に遊びに行ったり、思い思いに過ごしている。


私は、完食できていないため、
担任のセンコー(以前も書いたけど、コイツが大嫌い)が、
休み時間を与えてくれなかった。
どういう風に言われたか忘れたが、とにかく、
「食べ終えなさい」という話だったと思う。


一人で椅子に座って、
自分の机の上の給食を前にしている自分。
でもどうしても食べられない。


確か、揚げパンだったような記憶がある。
揚げパンは好きなのでいつも難なく食べていた。
何故食べられないのか自分でも全くわからなかった。


そうこうしているうちに、
休み時間も終わってしまった。
これも、どういう風に言われたか覚えていないが、
「食べられないなら仕方ないから片付けなさい」
的なことをセンコーから言われたと思う。


私は翌日か翌々日に学校を休んだ。
風邪だった。


バカ担任。
子供の気持ちになって考えられない、
子供の気持ちに寄り添えないセンコー。


ありえないな。
人選まちがえましたな、あの小学校は。
あんな奴が担任やってんだから。
おかしいだろ。
「具合でも悪いのかな?」
の一言も、そいつからなかった。

それとも私のほうから、
「いつも食べられるのに食べられないんです」
くらい言わなくちゃイカンかったのか?

あいにく、そんな賢いアタマじゃないんでね・・・。

私の周りには、親以外にも、
変な大人が何人かいた。
この担任のセンコーもそうだし、
過去ログでも書いたけど、
ものすごーーーーーく厳しすぎる、
異常にヒステリックなピアノのセンコーもいて。
コイツには毎週のように泣かされていた。

左手の甲にも痣を作ったことがあるし、
左頬を軽く平手で一度だけ叩かれた事もある。

このピアノのセンコーは、
今で言ったら児童虐待のうちに入るだろう。

私の左側で、
私の左耳が遠くなりそうなくらい、
大きな声で叱り飛ばす(怒号に近い)ヒスババア。
頭がおかしい。

担任のセンコーよりも、
このピアノ教師とのやりとりのほうが、
もしかしたら幼少期の私に、かなり傷を作ったかもしれないな。
ピアノレッスンの後、
夜道を泣きながら帰ったことも数知れず。

私がレッスンから泣きながら帰ったことを、
おそらく知っていながら、
そのピアノを絶対に
やめさせてくれなかった母親も同罪だ。



おわり。