最終更新 2016年7月4日



ピアノ教師の思い出。
以前にも何度か書いてるけど・・・。



”まだ書き足りないのか?” って感じで・・・(; ̄ω ̄)ゞ


マジで怖かったな…。
ピアノの譜面に、赤いサインペンで殴り書き。
「イチトオニイトオサントオシイトオ!!!」
って。
譜面の枠外に大きな字で書く。
怒って書いてるから、字も下手くそ。


私のほうもバカなもんだから飲み込みが悪くて、
その教師をイライラさせることも多かったと思う。


「何度言ってもわかんないのね、アンタは!!」
「ばっかじゃないの?!!!」


・・・などと怒りながら、
赤いサインペンを譜面台にポン!と投げるように放って、
呆れたように背もたれにバサッと寄りかかる姿が浮かんでくる。


何故か(?)上下黒の服装が多かったような印象がある。
黒いTシャツに黒のスパッツとか。
そのイメージが強い。
髪は肩すれすれのボブ。


・・・それにしても、ひでぇ先生だったと思う。


”そんな先生、イマドキどこにでもいるよ?”
と思っている人は、
たぶんここのブログを読まないかもしれない。

「私には」 キツかった。
あの先生に出会わなきゃよかった、とも思う。



最初はオルガンだった。
毎日通っていた幼児教室の先生が、
同時にオルガンの先生をやっていた。
すっごく、やさしい先生だった(*´∀`*) ほわぁぁぁん


オルガンからピアノを薦めたのが、
この優しい先生だったのか、
それとも、我が家(私)の方から
「ピアノをやりたい」と言い出して、
それでピアノ教師を紹介してもらったのか、
その辺りが曖昧。、

そして
”オルガンに慣れてしまっていると、ピアノに切り替えた時に、
鍵盤を叩くチカラが出ない”

という話をしていたのは、
優しい先生の方からだったんじゃないかと思う。

とにかく我が家ではオルガン一台を破棄し、
ピアノ(グランドピアノじゃないやつ)を購入した。
アップライトピアノっていう名前だと、この歳で初めて知った(恥)


あの優しい幼児教室の先生(オルガンの先生)は、
あのピアノ教師が、
もんのすげーーーーーおっかない教師だって事は、
知らなかったのだろうか・・・。


あのピアノ教師は、
躾にも厳しい先生だった。
挨拶を忘れると、やり直しをした。
何度か爪を切るのを忘れてレッスンに行き、
爪切りを渡されて
「そこで切って」と指示された(庭に面した廊下)。


また、レッスン中に、
自分の娘(2~3才くらい)が甘えたくて足元に寄ってくると、

「●●●(娘さんの名)ちゃん!後でお風呂場ね!
いいの???
後でお風呂場よ?!!」

とまた怒鳴った。


おそらく、お風呂場に閉じ込めるとか、
そういう意味合いだろうと思う。


娘さんが怒られてると、
私が怒鳴られているようで、いつもドキドキした。
声楽家出身だから、声がでっけーんだよね…。
だからなのか、怒る時の声も超でかい。


あの人は、常に、
ピリピリピリピリとヒステリックに怒っていた。


前の日記でも書いたけど、
一度だけ平手打ちをされたことがあった。


私が、何度ピアノ教師に指摘されても、
指示通りに引けなかったことが原因だったと思う。
イライラがピークに達したのか、平手が飛んできたのと同時に、
何か言葉を放ってきたと思うけど、
その言葉は思い出せない。


”平手打ちするほどのことでもなかったんでは・・・?”
と、高校生くらいになってから思ったこともあった。


レッスンをやめて数年経ち、20代の頃に、
「あの先生、妊娠中だからイラついて怒ってたのかな?
と思ったこともあったけど、
妊娠してなくてもイラついていたので、
たぶん慢性的なイライラ?・・・と思った。


この話は過去ログでは書いてなかったけど、
風邪で一回レッスンを休んで、
練習が暫くできなかったことがあり
次のレッスン日に、ピアノ教師の前で弾けなくてボロボロだった。


そしたら確か、

「どうせ仮病だったんでしょ」

みたいなことを言われて、
レッスンの後、帰宅して母親にチクった。

そしたら、珍しく母にしては私に同情(?)してくれたのか、
直接先生に電話をしてクレームを言っていた。
「嘘じゃありませんよ、うちの子ほんとに風邪でしたよ」
みたいな感じで。


記憶が曖昧でもう思い出せない。
母のほうから、
「ピアノ、やりたいのね?」
「続けるのね?だったらピアノを買ってあげる」
などと言われたのかどうか。

それとも母親が強制的にピアノをやらせたのか。


過去ログでも「やめさせなかった母親も同罪」
と書いてしまったが、
もしかしたら、
やりたい、と言い出したのは私のほうで、
「言い出したなら最後まで」じゃないけど、
それが理由で母親が私のピアノを
やめさせなかったんだろうか…?
あんなに毎回レッスンで、
怒られてる、泣かされてるのを知ってるのに。


母親に「やめたい」と何度直談判しても、
「ダメ」と言われてやめさせてもらえなかった。


これも過去ログでは書いていないが、
実は姉はピアノのレッスンをやめさせてもらえたのだ。


これは私が成人を過ぎた頃に母親から聞かされた話だが、
当時の姉は相当精神的に参っていたらしく、
夜中に起きて、夢遊病者のように両親の寝室にまで行き、

「お母さん・・・私、ピアノやめたい・・・」

と言ったらしい。

危険を感じたらしき母親は、
姉がピアノのレッスンをやめることを承諾した。


けれど私が何度か「やめたい」と言っても
受け入れてもらえなかった。


「お姉ちゃん、やめさせてもらえたじゃん。
なんで私だめなの?」

というようなことを言ったと思うが、
「ダメ」の一点張りだったと思う。


私だって相当、精神的にボロボロだったのに・・・。
夜中に起きてきて直訴したことの方が
「重症」だとでも言うのかよ・・・。


母親の「見栄」もあったのか?
”上の娘は仕方ないからやめさせるけど、
下の娘までやめさせてしまうと・・・”
みたいな。


私もバカだったよなぁ。
後日談を母親から聞かされてる時に、
色々と母親に質問できるチャンスだったのに。


レッスン毎回のように泣かされていたこと、
厳しくて嫌で仕方なかったこと、
誰が最初にレッスンをやらせたか、
私からの希望か、それとも母親か・・・等々。
(まぁ、訊ねても本当の事を言うかどうかは謎だけど・・・)


たぶんバカな私のことだから、
母親から姉の話を聞きながら、
「ふーーん、そんなことがあったんだ」
という程度で終わらせたと思う。


ACに気づいていなかった、というだけで、
こんな大事な場面を逃してしまうとはな・・・。
もう母親が死んでるんだから真相も聞けやしない。


もしかしたら、姉も、
”ここまでやらないと親はピアノをやめさせてくれないだろう”
と見越して、
わざわざ夜中に起きて言いに行った・・・という、
手の込んだことを姉がするかどうかはわからないが、
とにかくアイツは

「イチ、抜-------けた♪」

となったわけだ。



ちなみに、レッスンで叱り飛ばされていたのは、
私だけではない。

とても巧くて優秀な生徒がいて(私と同じ学校の同学年)、
その子以外はたぶん叱られていたと思う。

私のレッスンの日に、
私の前の順番でレッスンを受けていた子も、
やはりガンガン怒られていた。



最初、姉と私はレッスンの曜日が同じだったのだが、
このピアノ教師は、
すぐに私達姉妹を別々のレッスンの曜日に変更した。
とりたえて教室でうるさく騒いだなどの
落ち度もないのに。


やはりむちゃくちゃ神経質なピアノ教師だったんじゃないか?と思う。


今頃どうしてんだろうなぁ、あの先生。
もう70代くらいになってると思うけど。

会いたいとも思わない。



自身が30代くらいの時にピアノ教師の仕事をしていて、
教室の生徒をやたらに叱り飛ばしていたことって、
70にもなると忘れるのかな・・・。


憶えたまま生きててほしいと私は思う。
出来れば後悔もしてほしい。


そんで、あの時と人格が変わってないんだったら、
ピアノ教師なんか今もやっていてほしくない。
私みたいに、
ほぼ毎週のレッスンで泣いてたような子を
作ってほしくないと思う。

最終更新 2016年7月4日


もうすぐ夫が帰宅すると思うので、サクッと。


小学校4年か5年か6年か(担任は3年間同じ)。
いつも、だいたい完食できる給食が、
その日は何故か食が進まず食べられなかった。


同級生はみな、給食を終え、
校庭に遊びに行ったり、思い思いに過ごしている。


私は、完食できていないため、
担任のセンコー(以前も書いたけど、コイツが大嫌い)が、
休み時間を与えてくれなかった。
どういう風に言われたか忘れたが、とにかく、
「食べ終えなさい」という話だったと思う。


一人で椅子に座って、
自分の机の上の給食を前にしている自分。
でもどうしても食べられない。


確か、揚げパンだったような記憶がある。
揚げパンは好きなのでいつも難なく食べていた。
何故食べられないのか自分でも全くわからなかった。


そうこうしているうちに、
休み時間も終わってしまった。
これも、どういう風に言われたか覚えていないが、
「食べられないなら仕方ないから片付けなさい」
的なことをセンコーから言われたと思う。


私は翌日か翌々日に学校を休んだ。
風邪だった。


バカ担任。
子供の気持ちになって考えられない、
子供の気持ちに寄り添えないセンコー。


ありえないな。
人選まちがえましたな、あの小学校は。
あんな奴が担任やってんだから。
おかしいだろ。
「具合でも悪いのかな?」
の一言も、そいつからなかった。

それとも私のほうから、
「いつも食べられるのに食べられないんです」
くらい言わなくちゃイカンかったのか?

あいにく、そんな賢いアタマじゃないんでね・・・。

私の周りには、親以外にも、
変な大人が何人かいた。
この担任のセンコーもそうだし、
過去ログでも書いたけど、
ものすごーーーーーく厳しすぎる、
異常にヒステリックなピアノのセンコーもいて。
コイツには毎週のように泣かされていた。

左手の甲にも痣を作ったことがあるし、
左頬を軽く平手で一度だけ叩かれた事もある。

このピアノのセンコーは、
今で言ったら児童虐待のうちに入るだろう。

私の左側で、
私の左耳が遠くなりそうなくらい、
大きな声で叱り飛ばす(怒号に近い)ヒスババア。
頭がおかしい。

担任のセンコーよりも、
このピアノ教師とのやりとりのほうが、
もしかしたら幼少期の私に、かなり傷を作ったかもしれないな。
ピアノレッスンの後、
夜道を泣きながら帰ったことも数知れず。

私がレッスンから泣きながら帰ったことを、
おそらく知っていながら、
そのピアノを絶対に
やめさせてくれなかった母親も同罪だ。



おわり。








体罰と折檻と、どう違うのだろう?

自分が子供の頃には、
こういう家庭は結構多かったのだろうか?

私の場合、幼少期は粗相関係で怒らたことが、
多かった気がする。


いま思い出せる事件の一つは、
6帖のカーペットの上で放流(汗)してしまい、
風呂場に入れられて、
扉を開けられないようにされた。

怒られてベランダの外に出されて扉を閉められたり。

私の場合、このように、
トイレ、もしくは、風呂場またははベランダなどの、
「締め出し」が多かった。


トイレのすぐ横が洗面所で、
壁に備え付けのタオルホルダー(ダサイやつ)があり、
そこにタオルを引っかけて、
トイレのドアノブに結んで、
私の方から開けられないようにする、という感じだった。

うちの父親は、育児を母親に押し付けてたから、
これらの折檻は母からのみだった。。

父は職場での宿直もあり、
家にずっといる仕事ではなかったが、
母が、父がいない時を選んで、
折檻を私に与えていたか、
それとも父が家にいる日でもやっていたのかも、
思い出せない。

そして、
仮に、父が家にいる日であっても、
母からの折檻を、
父がフォローしていたかどうかも思い出せない。


(まぁ・・たぶん父もフォローしないだろうな。
どこか過去ログで書いたけど、
常に「お前が悪いよ?!」と母に加担してばかりだった)




姉が締め出しを食らっていたのも、
憶えてないんだよなぁ・・・・。
締め出しされてたの私だけなんだろうか???


風呂場に締め出された時は、
たぶん一回だけだったような気がしている。
粗相をして、怒られて、
風呂場の扉を開けられないようにされたもんだから、
やはり、子供心に、
「放出して身体が汚い」などと思ったのだろう、
たまたま、ぬる~い水が湯船に入っており、
服も下着もそこで全部そこで脱いで、
湯船の中に入った。


暫くして母親が風呂場に様子を覗きにきて、
「あらっ、アンタ風呂入ってたの?(笑)」って感じで、
ちょっと笑っちゃってたというか、
湯船に私が入ってるからびっくりしてて、
母は湯船にすぐ点火して、私はそのまま入浴した。


でも笑っている場合じゃないんだけどね・・・・・。
もし冬とかだったら大変な話だ。
子どもなんだから、「冷たい水」よりも、
「お◎◎こ漏らしちゃった」
「お母さんを怒らせた」
という方に意識が強く行ってて、
たぶん水でも湯船に入っていた気がする(私なら)。