2020.04.04 おせっかい
パソコン周りの乱雑な物をちょっと片づけていたら、
一枚のメモがみつかった。
(赤字は今日の注釈)


数年前(おそらくACと気づく前だと思う)の毒父との会話をメモしたものらしい。
過去にお世話になっていたメンクリが予約制ではなく、
診察までどのくらい待たされるか当日にならないとわからず、
食材の買い物や夕食の下準備ができなくなる可能性もあるので、
電話で「水曜日は外食にしてもらっている」という話を、
毒父にしたのだと思う。


不愉快だなぁ・・・。
なぜこんなことを言われなくちゃならんのだろう?
お節介も甚だしい。
また、「しょうがねーな、って思ってるかな」
などと急に言われたことで、
その言葉に対して冷静になれていない自分も見て取れる。


-----------------------------

でで
「(水)は夕メシ作ってない。外食にしてもらってる」



毒父
「しょうがねーなって思ってるかな」



でで
「えっ?誰が?」



毒父
「そちらの旦那」


毒父
「いっぱいサービスしなくちゃ。
おいしいものたくさん作ってさ。」  ← 余計なお世話だコノヤロー(内心)





2020.03.03 ひとづきあい
ときどき
「第一印象」
について考えてしまう。
それは何故か、台所で立って、
料理や皿洗いなどをしている時に思い浮かぶことが多い。



そういう点で言えば、
あの時の、越してきたご近所からの挨拶時の私は「0点」。
おそらく私の印象は最悪だったろうなと思う・・・。




・・・と思っているのは私だけで、
実はそうでもない?
被害妄想が強くてメンヘラだから、そう思ってしまうだけなのだろうか。




いくら私が、

「あの時の私は変でした」

「あの時の私はおかしかった」

と叫んだところで、人には届かない。





逆に、過去に私が、

「あいつって最悪」

と感じた人間に関して、当事者が

「あの頃の私はこうだったけど、今は違う」

と言ったとしたら、
私はそれを信じるのか?
いや、信じないし、「信じたくない」と思うだろう。
私に勝手に「最悪の烙印」をつけられた相手は、
永遠に私の中で「最悪」のまま。







第一印象の話とは違うが、


・小学3年の時にいじめてきたクラスメイトの男子二人。
・同じく小学3年の時に総スカンにしたクラスメイト全員。
・庇いもしなかったその時の担任。
・小学4~6年の時の担任。
・頬を(軽く)叩いたり、左手の甲にアザが残るほど叩いたピアノ教室の先生。
・姉と一緒になっていじめてきた隣の兄弟。
・中学の時に「特に」いじめてきたクラスメイトの男子。
・私を肩叩きした会社の上司( ← ダメ社会人だったので自業自得だが)

(・・・・・etc。思い出せないだけで他にも多数いる)




・そしてうちの親。
・余計なことを親に言った母方の叔母。
・実家に来るといつもおせっかいしてきた叔母。
・「猫がいるから」という理由だけで結婚式に来なかった叔父。



これらの人々の行為を水に流せる?




流せるわけがない。




じゃあ、他者が私を今でも嫌いと思っていたとしたら、
仕方なくそれを受け入れなくてはならないのだろうか。
学生時代と、社会人になってからと、
インターネットが普及してからのネット友達を含めたら、
私と喧嘩別れした人が沢山いる・・・・(-ω-;)




やはり、ACによくあるらしい「白黒思考」なのか、

「嫌い」か「好き」

しかない。

殆ど、

「最初の頃は仲が良かったのに、段々険悪になってサイナラ」

・・・というパターンが多い。
とても極端すぎる。
中間として、
「細々と緩く長く交流する」
ということができないのだろうか。





もしかしたら、自分の友達との付き合い方が歪んでて、

「最初は仲が良かった」

というのも、実はそうではなくて、
上下関係が確立していて自分が下の立場だったとか、
相手に迎合していたとか、様々に絡んだものがあり、
「段々険悪になってサイナラ」というのも、
「なるべくしてなったこと」なのかもしれない。



上下関係でいうと、いつも私は「下」だと思う。



先日も別件で、そう思った。
音楽の趣味関係で30年以上の付き合いのある友人で、
以前から頻繁にメールをしあっていたが、
ここ十年ちょっと、友人の仕事や生活が忙しく、
メールの間隔があいてきていた。
私も以前は頻繁に送っていたが、今は年に5回あるかないか。



そして、

「私は、この人からのメールに対して、返事をしなかったことは多分ないな・・・」

と思った。

でもこの十数年の間、相手からスルーされることは時々ある。

上下関係が出来てるんだなと思った・・・。

相手は、

”私がスルーしても仲は続く”

と思っているかもしれない。

だけど私は怖いので、返事をスルーすることができない。
スルーしたら相手が拗ねて、交流が終わるような気がする・・・。






「緩く長く」で言えば、年賀状だけの付き合いの、
例の高校時代の友人4人もそうなるのだと思うが、
それも疲れてきているということは、
もう私は4人と、年賀状の付き合いもやめたいということなのだろうか。
普段から全く、電話もメールもしあわないような状態で、
二十数年も会わないで、
果たして友人と言えるのだろうか。





いつまでもしがみついていないで、
次に行けばよいのかもしれないが、
普段から家に引きこもってばかりいる自分は、
この4人以外とのクラスメイトとの付き合いも全くないので、
4人との交流を絶ったら、学生時代からの友人は一人もいなくなる。




メッキが剥がれた、
「学生時代からの友人」というメダルのようなものを、
首にぶらさげていたいだけなのだろうか。




大袈裟なのかなぁ・・・。
考えれば考えるほど沼地にはまっていくようだ。



先日から書いている、メールの返事がこない友人の話。



この友人Aは、ただひとり、
うちの毒母が亡くなったことを喪中はがきで報せた時、
明けて1月中に私に電話をくれた人でもある。
正直うれしかった。



それでも、友人Aは友人Bと海外旅行に行ったこともあるが、
(確か一回ではなかったように思う)私は後付けで知った。



カネがないと思われのか(どうせ本当にカネなんか無いし)、
誘ったら迷惑を被られると思ったのか(性格悪いしね)、
せっかくの旅行が台無しになると思われたのか(そうかも)。




20代後半の頃、友人Aと私と、友人Aの後輩(私と顔見知り)の
計3人で出かけたスキー一泊旅行で、
友人Aと後輩が、まるでタッグを組むように仲が良く、
後輩が私を小馬鹿にする発言を繰り返していたことで私の怒りが増し、
帰りの列車に乗り込んだ時に、その後輩を怒鳴りつけた経緯があった。



列車の発車ぎりぎりまで、友人Aと後輩が駅構内の土産屋に籠っていて、
慌てて二人でホームに戻ってきた途端に、その後輩が、
「座席って何番~~?」
と、友人Aに言ったのか私に言ったのか知らないが、
ぎりぎりまで過ごしていて自分の席番も確認できていなかったことで、
私がカッ!となってしまったのだった。



瞬間湯沸かし器みたいにカッ!となるところ、実家にいる誰かとそっくりだね~~






そんな経緯があるんなら、
そりゃ海外旅行なんて、もっと誘われないわなーーwwwww






友人AとBと私を含め、
高校の仲のいいもん同士の5人グループだった。
中学3年の時点で特定の友達が一人もいない状態で卒業した自分に、
初めてできた友人たちでもある。



そんな5人ではあるが、
20代前半の頃だったかみんなで国内一泊旅行に出かけた時、
列車の座席(二人掛け)で一人余ってしまうことや、
遊園地に行っても、また誰か一人余ってしまうことで、
なんとなく帰りは5人ともギクシャクしていたのを思い出す。



どのくらい会ってないだろう?
もう20年弱ぐらい経つかもしれない。



現在は年賀状のやりとりのみ・・・・・・となっているのは私だけで、
友人A・B・C・Dの4人の中で会ったりしてることもあるのかも。



実は4人のうち、今年の年賀状が来ない子が一人いる。
来ない理由はわからないが、
元旦以降、2~3日に一度は思い出してしまう。
私が友人Aに年明けにメールしたのも、実はその件だった。
「あの子から年賀状来てる?」みたいな感じで。
そのメールの返事も来ないというわけだ。



一挙に2人から音信普通・・・。



また、前述の友人Bの電話番号が今もわからない。
2019年に喪中はがきが来て、そこで引っ越しした事を知ったが、
電話番号の記載がなかった。
もちろん今年届いた年賀状にも書かれていない。



下種の勘繰りで、
私に教えたくないから記載しなかったのかも・・・と思ってしまう。



20代の頃から、この友人Bには、
悩みがある度に長電話をしていたしな・・・。
この友人Bからアドバイスを貰っても、
私は悩みをダラダラと吐き出したいだけなので、アドバイスされても受け入れないのだ。
「でも・・・」
「だけど・・・」
ばかりで。



そりゃ、人をゴミ箱扱いしてれば、
煙たがって電話番号を教えてもらえないかもな~wwww




そのうち、長電話ばかりしていることで、疚しさがあったからか、
電話をかけて一発目に、あちらのお母さんが出ると緊張感が走った。
口調に抑揚があまりないのだが、
被害妄想で、”お母さんもしかして怒っているのでは?” と毎回思っていた。



(それでも長電話をやめず、「毎回」悩み相談してたのね・・・ )

馬鹿



この友人Bに、暑中見舞いを出そうと思っている。
そこで
”差し支えなければ電話番号を教えてほしい” 
と書こうと思っているのだが・・・・。




・・・ってか、まだ1月なのに、7月まで待てるのか?自分。



それにもしスルーされたら・・・・??
される可能性だってゼロではないわけで・・・・。



考えてみれば、友人4人全員の携帯番号も知らない。
知っているのは固定電話のみ。


このご時世、固定電話番号をもたない人もいる。
引っ越しした友人Bも携帯の番号しかもってないかもしれない。


それじゃ、ますます教えたくないかも・・・。


こんな迷惑千万な奴に携帯番号なんか教えたら、
掴まえようと必死に電話してきそうでイヤなんじゃないかと思うのだ。
(もちろんそんなことはしないが、
友人Bが知っているのは、長電話魔だった頃の私だ)





疲れた。


疲れる。


スッキリしたい。






2020.01.14 夢もチボーも
中学生の時に、
ほんの少し「漫画家になりたい」と思っていた。
描いてどこかに 発表 応募するのでもないのに、
丸ペンとGペンとインクだけは持っていた。



小学生の頃のお正月とか、
親族が爺さん婆さんの家に集まった時、
親戚のおじさんが酔っぱらいながら、


「おい、ででむし、なんか描け(笑)」


と言ってくるんだが、嫌ではなかった。
むしろ嬉しかったかもしれない。
(ちなみに私の両親から言われたことはない)




今でも漫画を読むのが好きなので、
細かく数えてないがおそらく100冊近くのコミックスが奥の部屋に。
これでも20年前の引っ越しの際に100冊以上、ブックオフに売ったが、
どうしても売ることができないコミックスを残した。



毒父は、

”アニメに対して何か恨みでもあんの?”

・・・と思うくらい拒否っていた。



だいぶ前にも書いたことがあったが、
毒父が自分の部屋にすっこんでる時に、
丁度午後7時になって、観たいアニメが始まり、

「しめしめ(笑)」

とチャンネルを合わせたら、毒父が部屋から出てきて、

「ほら!!!また漫画なんか観て!!」

と、私が大嫌いな、あのダミ声で一喝する。
そしてチャンネルを変えてしまってプロ野球を観る。



だから今でも私は、あまりプロ野球が好きではない。
毒父に一喝された過去を、どうしても思い出してしまう。



私が子供の頃は、
アニメの開始時刻が午後7時や7時半からが殆どだった。
なので野球のシーズンになると、どうしてもガチンコしてしまう。




毒母はアニメは嫌いではなかったと思う。
毒父が宿直で家を留守にしている時は、
毒母も姉や私と一緒にアニメを観ていたからだ。
まぁ、本当に好きだったのかどうかわからないが・・・。
好きなフリして私ら姉妹を取り込んでいた可能性もあるし。






漫画家以外に、
ほんの少しでも ”なりたい” と思ったものが無かった。



社会人になって、
自分で自由にお金を遣えるようになると、
月給もボーナスも貯めることなどなく、
好きな音楽に湯水のように遣いまくっていた。
グッズ、雑誌、イベント参加、コンサート、ファンクラブ会費・・・・。
(ちなみに有給も毎年綺麗に消化)



(いまでは、そうやってお金を遣い、有給も使いきって休まなければ、
生き抜いてこられなかったのだと思えるが・・・)






高校なんて、補習でギリギリ卒業したほどバカだし、
専門学校の卒業も危なかった。
社会人になって幾つか転職した先でも失敗ばかり。
仕事でも失敗、人間関係でも失敗。
失敗から学ばない。
次に活かすことができないのだ。





頭が悪いし、飲み込みも悪いし。
さらに性格も悪いときてる。



希望なんて何もない。
たぶん今も。



こんな自分に何ができるだろう?
(生きてればの話だが)60、70になってもメンクリに通って、薬も飲んで、
カウンセリングも受け続けるつもりだろうか?
20代から足掛け何十年なんだ?っつーの・・・。




先日のカウンセリングで、
私が話している途中、ほんの5秒ほどだったが、
カウンセラーが明らかに、
違う方角を見ていたのがとても気になってしまった。
気になったのなら
「気になるんですが・・・」
と言ったほうがいいのに、その一言が出ない。
今は落ち着いたが、
カウンセリング後の1~2日はひきずっていた。


こんな状態でいいのだろうか?






つい先日、高校時代の友人にメールを送った(3行程度)。
二日ほど経つが返事がない。
また私の悪い癖が始まってしまい、
被害妄想に陥っている。
周りから嫌われているように思えてしまう。

そう思うのと同時に、

”イヤな奴だなー”

などとも思ってしまう・・・。

”シカトするのは気分がいいだろう?”

みたいな。

”年賀状に毎年のように書いてある「会いたいね」なんて、
どうせ社交辞令なんだろう?”

とか・・・。

メールの返事がこない = 無視
と思い込む短絡的脳みそ。
実家にいる誰かさんとおんなじ。





何を書きたいのかわからなくなってきた。
最初は「なりたいもの」に関しての話だったのに、
だんだんと内容が違う方向に飛ぶ。
これもADHDが関係しているのだろうか。





2020年が始まったばかりなのに、思いっきり不安定だなぁ・・・・(´д`;)


ほんと、夢もチボーもないね・・・(古い・・・・)。





嫌われ者万歳! ( ← ヤケ   ) の
自分だったので (・・・ん?「だった」?今もだろ?www)、
成人式など出たいと思うはずもなく。
私を嫌いな人間が、きっとウヨウヨ居たであろう・・・。
なにせ中学最後の日なんて、ほぼ一人に近かったしな・・・。


成人式の日は友達と原宿で遊んでいた。


その友達(少し年上の女性)と、

「あれ!?そういえば今日、
ででむしちゃん、成人式じゃん!?いいの?!」

「あ~~。いいのいいの(笑)」


という会話をしたのを、よく覚えている。



私は今まで、両親を自分の家に呼んだことがなかった。




父は、夫と私の結婚当初の賃貸アパートに、
引っ越しの手伝いで一度来たきりだった。



その次に引っ越した、10年住んだ賃貸には、
父も母も一度も呼んだことがなかった。
(過去ログにあるけど、一部の部屋が汚部屋)




なので母に至っては、私の結婚生活を実際に見ていないまま逝っている。




夫は、

”親を、自分の家に招くのは、当たり前なんじゃないか?”

…という考え方の人だったので、
私としてもキツかった。
ちょっと責められる口調で言われることも、ままあった。




いま思うと、その、

”子供は親を家に呼んで当たり前”

という常識も、
夫の家庭環境や育成環境から得たものなのではないかと思う。





でも夫だって、自身が独身時代の頃に、
ものすごい汚部屋に住んでいて(遊びに行ってびっくりした・汗)、
たぶん、向こうのお母さんを呼んだことは一度もなかったと思うのだ。
その前に住んでいた賃貸の二軒にも、呼んだことがないと思う。



だったら私のことも言えないよね・・・・。





閑話休題。



私が親を呼ばなかった理由は、「過去の喫煙」のことが大きく絡んでいる。



ちなみに姉に対して一度だけ、
結婚当初に住んでいた賃貸に呼んだことがあるが、
あの当時は、私達夫婦が揃って喫煙者だったこともあり、
ヤニが目立ちにくい黒の家具を選んでいた。


後日、姉が電話で

「アンタん家って、なんだか、結婚してる夫婦の部屋って感じじゃないね」

と言った。


”女性らしい部分が部屋に無い”

ということを言いたかったのだろうか?




そりゃ、しょうがないよね(開き直り)。
私ら当時は夫婦ふたりして、ぷーかぷーか喫煙してたんだから、
白や明るい色の家具は買えないし置けないもん。






ってか、うちの姉って、ああいう余計なひと言を添えるところが、
うちの母親ソックリ!!(怒)







2015.11.25 居場所
最終更新 2016年7月5日


いま、ネットをしていて、
何故だかふと、思い出してしまった。

小学校3年か4年だったか。
とても珍しい名前の同級生。
女王様的な存在の子。
頭もよく身長も髙く、スポーツも得意。

どういう経緯か忘れたけど、
お昼を食べる時に、
グループに入れてもらうことになった。
(経緯は覚えていない。
私はクラスに友達がいなかったのだろうか。
それまでのお昼はどうしていたのだろう?)


私は、
食べた後に、人差し指を突っ込んで、
歯に挟まった物を取ろうとした。

「ほら!あたし、そういうのが嫌いなのよ!」

と、その子に言われた。
すごく憶えている。


でも今思えば、確かにストレートな物言いではるけど、
ネチネチした感じではないよな・・・。
でもだからと言って、
全てがこのようにストレートな子じゃなくて、
コソコソと陰口を言う子だった。

当時の、その子の顔も今でもよく憶えている。


でもまあ、確かに汚いよ。
目の前で指を突っ込んで取られてたら、
私だって嫌だわ。

私はそういうことをやるような子供だったのだ。

学校でも家でも疎外。


もうこれも何度も書いてる話なので重複するけど、
家に帰って愚痴れば、母親からは、

「あんたっていっつも、
誰々さんがこう言っただの、ああ言われただの、喧嘩しただの、
そんなことばっかり言ってんのね!」


・・・などと言われ。


父には話を聞いてもらった記憶がゼロ(育児を母に押し付けていた)。


父の前で、母と私が喧嘩すれば、
「必ず」父は母に加担。
同情してもらったり、
「お母さんも、ででむしの話くらい聞いてやったら?」
などと言われたこともない。



ほんと私って居場所がないな。
今の家にも、
居ていいのかどうかもわからんしね・・・。



私が20代後半に実家を出て、夫と結婚前に一緒に暮らしていた頃は、
親からの監視もなく、気も楽で、吸いたいだけ煙草を吸っていた。


別段それを悪いとも思っていなかった。


・・・というのは「開き直り」で、
本心はやめたかった。
でもたぶんやめられない段階に来ていたと思う。



喫煙していた頃の自分は、

「親に隠し事をしている」
「悪いことをしている」


などの自責の念が物凄く強かった。



特に、実家へ行く話が挙がった時が大変で、
隠蔽工作することばかりを考えていた。



●どの服を着て行くか事前に決め、クリーニング屋に出す。または洗濯。

●帽子やカバンなどの布製の物を、ファブリーズ  →  太陽にさらす

●日常つかっている煙草の臭いがしそうな物は、実家に持っていかない。


むろん、こんなことをやったぐらいで、
染みついた煙草の臭いはそう簡単には消えないのに、
とにかく「何かしなければ・隠さなければ」
という焦りの気持ちで一杯だった。



そして、実家に行く当日の朝は、必ず朝シャン。



夫は現在もそうだが、自身の吐くケムリに関して全く配慮がない人なので、
私がせっかく朝シャンしてきても、目の前でぷかぷかやっていた。
(私の親や、自身の身内に対しては、煙草の煙に関する配慮を見せるのに、
私に対してだけは、目の前で平気でぷかぷかする・・・・)



私が実家へ行く当日、
化粧や身支度などを終えるまでの間に、夫が喫煙すると、、


●実家に着て行く服は、出掛ける直前に着る。それまでの間は部屋着を着用。


●夫が目の前でプカプカしていたら、頭からバスタオルを被ってケムリを回避。
(無駄な悪あがき)


●実家に持って行くカバンや持ち物などは、喫煙不可の奥の部屋に退避させておく。


・・・今、こうして書いていると、
ほんとに笑っちゃうくらい、呆れるくらい、
隠ぺい工作しまくりボンバーだね…( ̄▽ ̄;)



そして私自身も、いつも、
「めんどくせぇなぁ…」
と思いながら隠ぺい工作をしていた。



もし私が現在でも煙草をやめていない中、実家に行く日があれば、
今でも同じように隠ぺい工作を続けていると思う。



両親は煙草を吸わない人間だったので、
煙草の臭いにはとても敏感だったと思う。
父は職業柄、煙草の臭いに慣れているようだったが、
特に母は喫煙者をとても毛嫌いしていた。


依存症って・・・
なんというか・・・、
さっきの「めんどくせぇ」で思ったんだけど、
今さらながら、本当にめんどくせぇ事が一杯あると思う。


常に家の中に置いておくことに神経を使う。
必ずストックしておく。
煙草が切れることに恐怖を感じる。
強迫観念。



たまに「シマッタ!買い忘れた!」
って時に、
外が大雪であろうと大雨だろうと買いに行く。
「めんどくせぇなぁ…」
と思いながらも買いに行く。



私のネット依存だって、変なこだわりのお陰で、
バカみたいな数のフォルダやファイルがある。
整理しても追い付かない。
尋常じゃないくらい多いので、どうにもならない。


消したくても、消すのが怖いファイルやフォルダも沢山。
下手に消して、PCが動かなくなっては困るので、それも恐怖。



めんどくせー・・・と思ってもやめられないのが、
依存症なのかな。



煙草をやめられたことで、隠ぺい工作もしなくて済んで、
その点はとても気が楽になった。
煙草にお金を遣わなくなったことも、とても大きい。



時々思う。
永らくひきこもっている自分。
PCの前に座っている時間が長い。
これでもし、今も喫煙者だったら、
煙草代だけでとんでもない金額になっていたと思う。



最終更新 2016年8月31日



いま考えると、
私は本当に図々しい子だったと思う。
図太いというか、大ばか者というか。
誕生会に自分が招待されてないんだったら、
”嫌がられてる” 
くらいはわかるんじゃないかと思う。


ところが私は、
”嫌われていたから招待されなかった” 
というのを認めたくなかったんだろう。



クラスメイトの他の子たち数人が、
主賓の子の家に招待されているのに、
私が呼ばれていないことが凄く嫌で、
「行きたいな~。誕生会行きたいなぁ~」
というような言葉を、
主賓の子に、教室ですり寄って(キモ…)、
招待を強要した。


主賓の子は、折れて私を招待してくれて、
めでたくお呼ばれを受けることになったのだが、
教室で、一言その子から何か言われた。
”料理が一人分ない” 
とか 
”ケーキが一人分ないけどいい?”
とか、そんな感じだったかもしれない。


その主賓の子と私は、元々仲が良かった。
性格もとてもよかった子だったと思う。
それが何故、招待を受けないほど嫌がられたのか、
何が原因でそうなったのか、私も憶えていない。


おおかた、私が失言をしたり、
その子を不快にさせる言葉を沢山行ったのだろう。


招待された先での、その子の誕生会の様子は、
どうだったか全く思い出せない。


とにかく自分が招かれざる客だったことしか覚えていない。



------ 一部追加 -------

「覚えてない」じゃなくて、
「都合の悪いことは思い出さないようになっている」
としか言いようがないかも・・・。


先日、たまたま昔の写真を眺めていたら、
前述の誕生会の主賓の子と、私と、他2人の、
家庭科実習中の写真が出てきた。


「他2人」のうちの1人は、私が虐めた子だ・・・。


生前の母親の話によると、
私はその子がクラスメイトから虐められているのを、
庇っていたらしい(記憶にない)のだが、
一転して虐めるようになった(勿論私は、
その子を虐めていた事を自分の母親に極秘にしていたので
多分知らなかったと思う)。

私は、その子を虐めたことをちゃんと覚えている・・・。
一度や二度じゃなかった。

おそらく主賓の子も、
私が同級生いじめをしていることを知っていたんだろう。

そんな人間が、誕生会などに誘われるわけがない。

誘われなくて、当たり前。


自分が他人を虐めていたくせに、
虐められた側になると、途端に物凄く被害者ぶる。


それが私という人間。


30代前半の頃、
趣味絡みの知人から、
大勢の人がいる前で、手痛い嫌がらせを受けた。
それにより今でも自分の心の深いところに、
トラウマが残っている。


世の中はうまくできている。

他人を虐めてきたぶんだけ、
返り討ちにあうようにできているのかもしれない。




最終更新 2016年7月6日


過去にお世話になったメールカウンセリングのやり取りを、
たったいま読み返していたところ、
少し感情が不安定になってしまった。


メールカウンセラーからの返事を読んで不安定になったのではなく、
当時の私の個人的な揉め事に関わる文章を読んで、
フラッシュバックしてしまったのだ。


ある趣味を通じて仲良くしていた知人と、
ほんの些細なことで仲たがいをし、
その知人から、きつい内容のメールの返事をもらったことがあった。


その時の、その人の返事をコピペして、
メールカウンセラーに送ったことがあった。


それをさきほど読み返していたらフラッシュバックした。
あの時の、知人との嫌なやり取りが、
リアルに甦ってきた。


私は先日、

”迷惑をかけた友人知人がたくさんいて、謝りたい人ばかりだ”

というようなことを書いたのだが、
上記の、きつい返事をよこした人に謝罪したいか?
・・・と自問しても、
申し訳ないけど、この人には謝罪したいと思わない・・・。


怒らせるつもりじゃなかったけど、
向こうが怒ったのは事実。
だけど、本当に私だけが悪かったのか・・・?と自問すると、
決してそうではないような気がするからだ。


もう二度と会う事もないだろうな・・・。