2020.03.03 ひとづきあい
ときどき
「第一印象」
について考えてしまう。
それは何故か、台所で立って、
料理や皿洗いなどをしている時に思い浮かぶことが多い。



そういう点で言えば、
あの時の、越してきたご近所からの挨拶時の私は「0点」。
おそらく私の印象は最悪だったろうなと思う・・・。




・・・と思っているのは私だけで、
実はそうでもない?
被害妄想が強くてメンヘラだから、そう思ってしまうだけなのだろうか。




いくら私が、

「あの時の私は変でした」

「あの時の私はおかしかった」

と叫んだところで、人には届かない。





逆に、過去に私が、

「あいつって最悪」

と感じた人間に関して、当事者が

「あの頃の私はこうだったけど、今は違う」

と言ったとしたら、
私はそれを信じるのか?
いや、信じないし、「信じたくない」と思うだろう。
私に勝手に「最悪の烙印」をつけられた相手は、
永遠に私の中で「最悪」のまま。







第一印象の話とは違うが、


・小学3年の時にいじめてきたクラスメイトの男子二人。
・同じく小学3年の時に総スカンにしたクラスメイト全員。
・庇いもしなかったその時の担任。
・小学4~6年の時の担任。
・頬を(軽く)叩いたり、左手の甲にアザが残るほど叩いたピアノ教室の先生。
・姉と一緒になっていじめてきた隣の兄弟。
・中学の時に「特に」いじめてきたクラスメイトの男子。
・私を肩叩きした会社の上司( ← ダメ社会人だったので自業自得だが)

(・・・・・etc。思い出せないだけで他にも多数いる)




・そしてうちの親。
・余計なことを親に言った母方の叔母。
・実家に来るといつもおせっかいしてきた叔母。
・「猫がいるから」という理由だけで結婚式に来なかった叔父。



これらの人々の行為を水に流せる?




流せるわけがない。




じゃあ、他者が私を今でも嫌いと思っていたとしたら、
仕方なくそれを受け入れなくてはならないのだろうか。
学生時代と、社会人になってからと、
インターネットが普及してからのネット友達を含めたら、
私と喧嘩別れした人が沢山いる・・・・(-ω-;)




やはり、ACによくあるらしい「白黒思考」なのか、

「嫌い」か「好き」

しかない。

殆ど、

「最初の頃は仲が良かったのに、段々険悪になってサイナラ」

・・・というパターンが多い。
とても極端すぎる。
中間として、
「細々と緩く長く交流する」
ということができないのだろうか。





もしかしたら、自分の友達との付き合い方が歪んでて、

「最初は仲が良かった」

というのも、実はそうではなくて、
上下関係が確立していて自分が下の立場だったとか、
相手に迎合していたとか、様々に絡んだものがあり、
「段々険悪になってサイナラ」というのも、
「なるべくしてなったこと」なのかもしれない。



上下関係でいうと、いつも私は「下」だと思う。



先日も別件で、そう思った。
音楽の趣味関係で30年以上の付き合いのある友人で、
以前から頻繁にメールをしあっていたが、
ここ十年ちょっと、友人の仕事や生活が忙しく、
メールの間隔があいてきていた。
私も以前は頻繁に送っていたが、今は年に5回あるかないか。



そして、

「私は、この人からのメールに対して、返事をしなかったことは多分ないな・・・」

と思った。

でもこの十数年の間、相手からスルーされることは時々ある。

上下関係が出来てるんだなと思った・・・。

相手は、

”私がスルーしても仲は続く”

と思っているかもしれない。

だけど私は怖いので、返事をスルーすることができない。
スルーしたら相手が拗ねて、交流が終わるような気がする・・・。






「緩く長く」で言えば、年賀状だけの付き合いの、
例の高校時代の友人4人もそうなるのだと思うが、
それも疲れてきているということは、
もう私は4人と、年賀状の付き合いもやめたいということなのだろうか。
普段から全く、電話もメールもしあわないような状態で、
二十数年も会わないで、
果たして友人と言えるのだろうか。





いつまでもしがみついていないで、
次に行けばよいのかもしれないが、
普段から家に引きこもってばかりいる自分は、
この4人以外とのクラスメイトとの付き合いも全くないので、
4人との交流を絶ったら、学生時代からの友人は一人もいなくなる。




メッキが剥がれた、
「学生時代からの友人」というメダルのようなものを、
首にぶらさげていたいだけなのだろうか。




大袈裟なのかなぁ・・・。
考えれば考えるほど沼地にはまっていくようだ。



<三度目>

ゴールデンウィークが近づいてきた。
人によっては10連休になると云う。


長期間の休みになるとたまに思い出すので、三度目の掲載。



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<二度目>

お休みの長い時期になると思い出すので、過去記事の再掲載。



いつまでも、
「いらない感」
「必要とされてない感」
が拭えない。



学生時代(いつごろだったかは曖昧)の、
長い休み(夏休み、冬休みなど)の時に、
何度か母に言われた言葉。


あー!
早く学校が始まればいいのに。




そしてもれなく、以下の言葉のいずれかがくっついてくる。

●アンタがいるとなんにも進まないのよ

●アンタがいると何々ができない

●アンタが休みだと、どーのこーの。

●アンタがいると、云々。





母には、
私の長い休みがイライラの元だったらしい。
人間だから、イライラすることもあるだろう。
女性には更年期というものもある。
私だってイライラは起こる。


でも母は、それを自分の娘のせいにしちゃいけなかったのだ。


子供は、好きで長期の休みに入っているんじゃなくて、
学校で決められているから休んでいる。


あんなことを何度も言われていたら、

「自分が夏休み(冬休み)で家にいると、お母さんは迷惑なんだ」

「お母さんがイライラするのは自分のせいなんだ」


・・・と思ってしまうのは間違いない。
(しかし当時の私は気づけなかった)。、




仮に、私がクラブ活動をしていて(実際には帰宅部だった)
夏休み(冬休み)中に、
クラブの練習で朝から夜まで家にいなかったとしたら?


もしそうだったら、
私が朝から晩まで家にいないことで、
母親はのびのびと過ごせたのかもしれなけど、
常に母の心にはイライラが充満しているので、


他の理由をつけて、
イライラの発散を私に向けていただろう。



結局、私が家にいようといまいと、
母は私をストレスのはけ口にしていたと思う。








メモを持参し、カウンセリングでダーーッと話した。

食事会の件で一番多く時間を割いた(多くと言っても30分カウンセリングなので短時間)。



話しているうちに、相手のカウンセラーに、
父に関する愚痴を話す自分を拒絶されているような、
父の愚痴を話す自分がだんだん悪い人間に感じられてきて、
初めて、このカウンセラーの前で泣いてしまった。


以前8年間お世話になったカウンセラー(女性)の話を引き合いに出し、


「私が、 ”父には早く●んで欲しいんです”  と言ったら、その先生は、
 ”それでいいんですよ” と肯定してくれました。」

と言うと、

「肯定して欲しいですか?」と切り返された。


現在のカウンセラーは70代ぐらいの男の先生。
うちの父親の方がだいぶ上だろうけど、
年齢的に近いから、庇いたかった&同情したかったのだろうか。


私の考えすぎ・下種の勘繰りかもしれないが、
口調がいつものように柔らかではなく、責められている様な気持ちにもなった。
「責められている様な気がします」
と言ったら、
「そうですか」
と一言で終わった。


「(お父さんは)不器用な人なんだな、という風には受け取れませんか。」
と聞かれたので、
「・・・それは無理ですね・・・今はダメです・・・」
と答えた。



不器用な人だけで片づけられるもんじゃない。
親との亀裂に関してはカウンセラーに話してきているが、
まだ、ここのブログに書いている内容の5分の1も話していないので、
うちの両親がどんだけ酷かったかというのを、
カウンセラーがまだ知らなくて、こういった「不器用な人発言」になるのだろうか?




逆に言えば、不器用な親だったら、子供に何をしてもいいのか?という話になる。




余談だが、不器用で許されるのは高倉健だけだ(当時のコマーシャルの話)。












先日テレビで、津川雅彦さんと朝丘雪路さんのお別れ会を観た。
娘さんが「世界一のお父さんとお母さんでした」と言っていた。



私だって、そんな風に胸を張って言えたらどんなにいいか。



でも、うちの両親が私にしたことを、そう簡単に許すことはできない。
ここのブログで書き殴っている、両親から受けた言葉の数々や態度、
私を守るどころか、親同士で結託して私を責めたり、
理由をちゃんと聞かず、酒の勢いで、頬に痣が残るぐらい平手で叩いたり、
父親からの現在の不快な態度や言葉を、そう簡単には流せない。



父親自身に、
「自分が悪いことをしたのだろうか」
などという気持ちが、まるで見えてこないところも腹立たしい。



いつだって自分が正しい。
間違っているのは周りの人間。
子育てからして(母親に押し付けてたから)責任転嫁がデフォ。



今年、近県の自分の妹宅に招待されて一泊したらしいが、かなり歓迎された模様。



あの父親のことだ。

「ででむしはホント、どうしようもなくてね。私ん家にも全く来ないんだよ。
本当にも~~~。
お母さんは一体どんな子育てしたんだろうか」


くらい言ってそう。


誰が行くか、あんなゴミ屋敷の実家。
空気中に漂ってる塵や細かいゴミなんかを吸ったら、こっちの具合が悪くなりそう。





「親のことを大事にしろ」
「育ててもらって、親のことをアレコレ言うのは間違ってる」
という思考が蔓延してる。



もし、「ででむしはホントに云々~」などと、マジで父親が妹宅で喋っていたとしたら、
周りから同情されるのは父親で、

「あらーーー。ででむしちゃん、そりゃ駄目だねーーーー」

などと悪者にされるのは私のほう。

『年老いた親のことを大事にしない、最悪な娘』
で終わり。



こんな理不尽な事ってあるだろうか。
自己憐憫が止まらない。




読む人の中には、「許さなくていいんですよ」と思う人もいるかもしれない。

「許さなくていい」
でもその先、私はどうするのか。




許さない先には何があるのだろう。



私はいつも、ただただ恨み節で終わっている。




カウンセリングで、親のことを話すのがなんだか嫌になってきた。
どうせ一発目の通院から、
「ACについてはこちらではわかりませんので」とはっきり言っていたメンクリだしな・・・。


話したとしても、またカウンセラーのことを疑ってかかりそう・・・。
”本当は、こう思ってたんじゃないだろうか”
とか、
”あんな風に言ってたけど本心では気分を害したのでは・・・”
とか。


◎門科へ行く翌朝の起床が早いので、前夜は午後10時には床に就いた。
ところが夜中の3時頃に目が覚めてしまった。


少し喉が痛く感じられ、居間で風邪薬を飲んでからまた床に就いたが、
寝坊ができないことと、メイクの時間が取れるかどうか気にしていたからか、
やっと眠りに着いた時、凄く変な夢を見てしまった。


誰のお葬式なのかわからなかったが、自分も含めて周りも喪服で、
母も居り、母の実妹2人も一緒にいたのは憶えている。


ただ、母と叔母たちの年齢が若かった。おそらく私が20~30代の頃の年齢ぐらい。


お葬式には、夫も、父親も姉もいなかった。


私は「メイクをしなきゃ」焦ってバタバタしており、
道具を入れていた紙袋を誰かに盗られたか間違えて持っていかれたようで、
更に焦っていた。


しかし母も叔母たちも周りの人たちも、此処から別の場所に移動するということで、
すっぴんで紙袋もみつかっていない私は、ただただ焦るだけだった。

寝覚めが悪かった。


お陰で、6時に鳴ったらしき目覚ましを止めてしまったようで、起床が6時半。
45分後ぐらいには出なくちゃならず、
更にはイレギュラーなことも起きてしまったため、
結局メイクをできずにマスクをして顔半分を隠して病院に出かけた。



生前、病だらけだった母親の病歴。
病名や症状は時系列ではないが、病気ばかりの自分の不安も含めてメモ。
(なお、40代半ばより前の、若い頃の疾病などは、
本人から聞かされたかもしれないが、私は記憶に残っていない)



◎50歳前(48か49の頃)◎

心房中核欠損症 心房中隔欠損症 の手術で3~4か月入院。








◎50代前半~60代前半ぐらい◎

歯科通院多し




脳しんとう(?)で一度倒れる。
朝、出勤前の支度をしていたら、台所から「バターン!!」と大きな音がして、
びっくりして目を向けたら、母親が両目を開けたまま仰向けで倒れていた。
泣きながら何度か叫んだ。そしたら母親は我に返って目覚めた。
倒れて気を失った自覚はあったらしく、自身にも言い聞かせるように、
「だいじょうぶ、だいじょうぶ・・・」と言いながら起きた。
あのとき私がいなかったら一体どうなっていたか・・・。
確かこのころは姉は結婚して実家を出ていた時で、父も宿直で会社に泊まっていた。





医者から糖尿を告げられ、塩分と糖分の食事制限。
自分用の、食事制限中の食事と、
私(と、家に居る時の父)の分の食事と両方を作っていたので、さぞかし大変だったと思うが、
私はこの時もヒトゴトで、母親の手伝いなども一切しなかった。






帯状疱疹





「カレーを食べると胸やけする」と言い、食べられなくなった。




「頭が熱い、熱い」と言い、氷水を入れたビニール袋を、
頭頂部に乗せている時がよくあった(季節失念)。





下腹部の痒み(糖尿によるもの?)




頭部を小刻みに揺らしているのを何度も見た。
本人に自覚はないようで、
私が「また揺れてるよ」と言っても「あら?そう?」で終わっていた。
(どちらかと言うと、私の言い方はマウンティング&指摘に近かった^^;)








◎60代半ば~70代半ば◎

胆石の手術。


歯科通院も続く。


ヒザの痛み
両膝の痛みが強くなり、料理以外の家事は全て父がやっていた模様。
整形外科にも、薬を取りに父が出かけていた。

もちろん膝の状態が酷いため後に手術をしたと思うので仮病ではないだろうが、
永らく家の中のことの殆ど(子育ても全て)を押し付けられていた母からの、
父への仕返しのような気もする。










自分の身辺に気を配れなくなっている様子を何度か目にした。



両目の手術。
(前回の私の白内障の日記でも書いたけど、
母親の手術が緑内障か白内障だったのかも憶えていない)




電話で会話中に無反応な事がしばしばあった(脳梗塞が近かった?)。




注意力の低下(上記に似た感じ)



・膝の手術  → 手術成功  → 
一週間後に退院の予定 → 院内で脳梗塞発症 → 数か月後に脳梗塞で死亡



2018.10.11 白内障
いつも以上に暗い内容・・・。





2週間ぐらい前から、片目だけが若干ぼやけて見えていた。
「急に」訪れた感じだった。
(もしかしたら徐々に徐々に・・・で、ドカン!と来たのかもしれないけど・・・)



3週間前まで、生活に支障のない程度で使えていた眼鏡なのに、



「片側のレンズだけ、突然見え方が変わった(視力が低下した?)」



・・・というような感じの、ぼやけ方。



真っ白ではないけど、やはり不快で。








9月下旬に、もう一方の目が、軽症の結膜炎に罹った。
(その時はまだ、もう片方の見え方は普通だった)



その結膜炎は3日程度で治った。




その時お世話になった眼科に行き、


「結膜炎は治ったんですが、もう片方の目が、
一週間ぐらい前から急にぼやけてきました」


と伝えた。




「眼底検査をしたい」と言われたが、
2時間半後のメンクリ予約の旨を話すと、
「検査時間が掛かるので来週にしましょう」
と言われて検査は一週間後となった。




検査までの一週間、やはり不快な感じで過ごした。




随分前に買った、再度観たかった映画のDVDがあったんだけど、
観る気が起きない・・・。




テレビ画面に目を向けている時が、一番「ぼやけ感」を感じる。




依存症ならでわの言い訳かもしれないが、
PCでネットをしている時は、テレビ画面に目を向けている時ほど、
さほどぼやけ感を感じない。




見え方がこうだったから、控えていたのではなく、
たまたま年賀状ソフトの件やら、夫が週末から3連休だった事もあって、
4日間全くネットはしていなかった。
(年賀状ソフトを使ったのでPC画面は見ていた)




眼底検査の前夜に、網膜剥離と緑内障と白内障について、ちょっとだけ検索した。



私は未だに、生前の母が、緑内障と白内障の、
どちらの病名で両目を手術していたか憶えていない。



そのくらい知識が低く、他人事だと思っていたし、
電話で「手術したわ~」みたいな事を言われても、
「ふーん」程度だった。




網膜剥離と緑内障と白内障の事を検索するも、
今の自分の症状を軽視していたところがあった。




眼科の待合室で、緑内障と白内障のパンフレットを眺めつつも、
それでもまだ軽視していた。



「この今のぼやけ方は、目薬をさしてたら治る程度のものかもしれない」

などと勝手に思い込んでいた。




なので眼底検査後の診察で、機械に顎を乗せて先生に診てもらっている時に、


「あー。両目とも白内障ですね。片方は進んでますねぇ・・・」


と言われた時も、あまりショックではなく、


「白内障は白髪のようなものです」


と説明された時も、


「・・・あ、そうなんですか」


と答えた。






ところが、



「(今の)見え方は、このままで変わらないんです」


と言われた時に、そこで初めてショックを受けた。


「・・・え。そうなんですか・・・」と。




前夜、もっと突っ込んで検索しておけばよかったし、
待合室でパンフレットも熟読しておけばよかったが、



「白内障は手術しないと治らない」


「ぼやけて見えるのは点眼薬で回復しない」


「点眼薬は白内障の進行を遅らせる程度」


ということを知らなかった。






生前の樹木希林さんが、
「あるとき目が覚めたら、左目が真っ白で絶望した。
明日死ぬならいいけど、生きていかなくてはならないわけだし」
という様なことを話していた映像を思い出した。



私の症状など、希林さんの症状の辛さの比較にもならないけど、



”これからずっとこのような見え方なんだ・・・。”

と思うと、やはり物凄く気持ちが落ち込む。



「手術しましょう」
とも言われなかったので、現状このままだ・・・。





アダルトチルドレンは、
「ゆっくり待つことが苦手」
と訊く。



先生の言う、


「目薬で暫く様子を見てください」


の「暫く」が、「永遠」のように感じられてしまい、とても辛い。



進行を遅らせるだけで、見え方が良くなるわけではないのだから、
目薬を使ってても無駄なんじゃないか?



・・・と思えてしまう。



ただ、使わなければ早く進行するらしいので、それはそれで非常にまずい。





どこもかしこも病気ばっかり・・・。
きちんと通院しておらず放置している箇所が幾つもある。




この十数年、健康だったことが無い。



メンクリ含めて、身体のどこかしらが常に故障していて、
いつも通院している。



もううんざり。



自業自得と言われればそれまでだけど・・・。




不摂生。
運動しない。
ネットばかりで目を酷使。



若い時とは違うんだから、
もっと自分の身体を労わらなければならないのに、
逆のことばかりしている。



過信が、今後も自分を苦しめるのだろう。




今日なども、朝の8時頃から10時半頃まで、
ずっとネットをしていた。
白内障のことを検索して読んだりもしたが、
病気に無関係な所を読んでいる方が長かった。



現実を受け入れられなくて逃避行動。



昨晩も白内障のことを検索していたら、夫に、
「調べて読むと却って不安になるでしょ?
読んで ふーん、そうなんだ・・・で終わらないでしょ?」
と言われた。



更に、
「アレじゃないの?
真っ暗(寝室)の中で、画面(iPod)見てたでしょ。やめろ、やめろって何度も言ったのに」



と言われて、



「だって眠れないことがあるんだもん」


と最初は普通に答えたつもりが、


”なんでこの人に色々と言われなきゃいかんの?”


と思ったら段々ヒートアップしてきて、ハゲしくは無いが少し言い合いしてしまった。








家の中で過ごしていて、時々ほんの一瞬だけ片目をつぶってみる。



家の中でだったら、眼帯をしていたほうが、まだ楽なんだろうか。



でも、両目とも白内障なんだから、
まだマシな方の片目だけで過ごしていたら、
そっちの方も悪化してしまうかもしれない。


やはりダメか・・・。





生きてても辛いことばかり。



落ち込む気持ちを引きずりながら、眼科の帰りにスーパーに寄って、
食材を買ったついでに、何故かプリンを一個購入。
少しでも気分をアゲたかった。



でも家でお昼を食べた後に、プリンを食べて、
「おいしー(ノ∀`)」
と思ったけど、それだけで終わり。



楽しい気分が長続きしない。





前回の日記で浮かんで来なかったこと。

・・・の続き。

前回9月30日に更新後、
翌日に浮かんできたので、
ブログに予め下書き保存しておいた。



★父親から鉄球を投げつけられる夢★

1~2年ぐらい前だったと思うが、
そんな夢を見た。

父親が物凄い形相で、こちらを睨みながら、
母(と私)に、バレーボールの大きさぐらいの鉄球を
ガンガン投げつけてくる夢を見た。

その形相は、
過去に何度か書いている、
10歳の時に平手で一発叩かれる直前の、
あの父親の顔そのものだった。

トラウマっぽいのかな・・・?(´д`;)

投げつけられる鉄球は、
不思議と私達に当たっておらず、
母と私が血を流すとか、
そこまでの描写はなかった。

母は横座り。
私は母の横に立っていた。

嫌な夢だ・・・。
もう二度と人の夢の中に出てこないで欲しい。

ちなみに、父親が私の夢の中に出てきたのは、
憶えている限りではこれが初めて。
母親や生前、一度だけ、死んだという仮定で
夢の中に出てきたことがある。





★にきびの話★

今度は母親からの言葉による嫌がらせに関して。


私が実家で両親と暮らしていた頃、
何度か同じようなことを母親に言われた。
(いま思えば、父親が仕事で不在の時ばかりだったような?)


母親が脈絡もなく突然、
にきびの話をしてくるのではなく、
母親と私の、何かの会話の延長線上だったと思うが、


私が全くにきびが出ないことに対し、


「(にきびが出ないのは)子供だからよ」

とか、

「幼いからよ」

などとよく言われた。


父親がにきびが出なかった体質だったらしく、
その事も含めて言われることもあった。

「お父さんもにきびが出なかったから似たんじゃない?」

とか。

(だから父親が仕事で留守の時を選んで、
私に嫌な言葉を投げつけてたのかね?)



私は医者じゃないからわからないが、
にきびが出ない人は、成熟していないのだろうか?

おそらく母親の勝手な固定観念だと思うのだが?



母親は、自分の亭主が好きではなかったからだろう。
過去ログ「血液型で判断」

の話と同じだ。



うちの母親は、
自身のストレスを発散できればそれでよかった。

短気でカッとしやすい自分の亭主には言えないので、
ストレス発散の標的を私にして、
上から目線でバカにしたように吐き出せば、
スッキリしていたのだろう(たぶん)。


しかし、その「スッキリ」も一時的で、
すぐにまた次のイライラ&モヤモヤが訪れる。
いつまで経っても、
自分の娘(私)への言葉の暴力は止まらない。


イライラ&モヤモヤは、全て周りのせい。


いつでも自分の、
モヤモヤ&イライラした感情の開放が最優先。
それで自分の娘が傷つこうがなんだろうが、
お構いなし。





なんだか中途半端な終わり方になってしまったが、
親に関する話は今回はここまで。



一昨日から着手中の年賀状ソフト。

昨年11月の日記「年賀状ソフト」

また今年もこの季節が来た。
でもさすがに、昨年一か月以上悪戦苦闘したからか、
今回は少し戸惑った程度で、なんとか進められている。
レイアウトはほぼ決まってきているので、
後は文字の大きさや色、配置などを整えて印刷するだけ。

はぁ~助かった・・・・(´∀`;)



明日は眼科で眼底検査。

〇門科は今月中。 ( ← まだ行ってないのかよ )



ヾ(´・ω・`)ではまた
2018.06.12 憎しみの目
カテゴリーを何処にしようか少し迷ったが、
やはり母のカテゴリーにした。
(ただ、今回の話は、
どちらかといえば母は被害者っぽいけど・・・)


*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~




時々、思い出してしまう。


入院中の母の、
父への「あの目」。


顔の半分下まで掛布団で隠し、
眉間にしわを寄せ、
父を凝視していた。


視線をはずさない。
じーーっ・・・と見ている。


それを、夫も私は2~3回見かけた。


「ほら、お母さん、いっつもこうやって、
お父さんのことを睨むんだよ(笑)」

と父が言っていた。




夫と私が病院に来た時を狙って、
故意にやってるんじゃないとは思うけど、
父が鼻毛切りで、
少し伸びている母の鼻毛を切ろうとすると、
喋れない母は、
首をイヤイヤと振って拒否していた。


そして父は、
”やれやれ困ったな・・・”
という感じで、
小さい声で「ははは…」と笑った。


そういった光景も2回ほど見た。





過去にも書いているけど、姉も私も、
ほんの数回しか母の入院先を訪れず、
母の看病を父に全部押し付けていた。



きちんと親御さんや親族の方の入院先に行き、
身の回りの世話をし、
精神的にも支えている(支えていた)人から見たら、


「一体なんなんだろう?この女は」

・・・と呆れられてしまうかもしれないけど・・・。



うまく言えないけど、
重度の脳梗塞の母が、
健康な人と同じ感情を、
どの辺りまで持ち続けていることができるのか、
私は全くわかっていなかった。
いや、今もわかっていないけど…。



ただ、母が亡くなった後、父の口から、
晩年は、よく母に怒鳴り散らしていたこと、
(しかもそれを得意気になって私に話していた父)
マシンガントークの如く、
父の母に対する悪口などを嫌というほど聞かされてきて、


だんだん、あの時の母の「あの目」は、
怒っていた目だったのだとわかるようになってきた。
今さらだけど・・・。


鼻毛のカットも、おそらく、
”こんな人にやってもらいたくない”
という拒否の表れだったのかもしれない。



2年ぐらい前だったか、父が電話で、
「お母さん、病院でいっつも、
お父さんのこと睨んでたじゃん。
お父さんのことが嫌いだったんだな」
と言っていた。


父も、私と同じで、
なんで睨まれているのかわからなかったようだ・・・。





さっき
「全くわかっていなかった」
と書いたが、そうじゃない。


「わかろうとしてなかった」のだ。


私は、病院で、
母と意思の疎通が取れた事が二度ほどあった。


母の入院先に夫と行く時は、
母の病室で父と待ち合わせる事が多かった。


しかし、夫と私が病室に後から到着すると、
父は必ず、10分もしないで
「ほい、帰るよ」と言った。


私が
「えっ?いま来たばっかりじゃん?」
と言ってもダメで。
父は帰り支度を始めてしまう。
仕方なく夫も私も帰る支度をする。


おそらく父は、私たち夫婦よりも、
早い時間に病院に来ていたのだと思うが、
空腹が耐えられなかったらしい。
病院帰りに3人で食事をするのが楽しみだったようだ。
(父は大変食いしん坊である)


食事の後、
駅で別れた父にバレないように、
一度だけ、夫と私の二人で、
もう一度病院に戻った事があった。



病室に入るなり、母が、私たちを見て、

”あら、やだ!来たの~?”

という顔をしたのがわかった。
あの顔は、そういう風に言っていた。


こうやって、少しだけど、
意思の疎通が取れていたじゃないか・・・。





自分の娘が二人もいながら、
入院先にやってこない。
来るのは、自分が嫌っている夫(私の父)だけ。



母は病院の中で、
どのように思っていたのだろう。


もう、
”生きていてもしょうがない”
と思ったことも、もしかしたらあったのかもしれない。



それは、
私の未来にも繋がってゆくのかな・・・と、
漠然と考えることがある。



母の血族の数人が、
脳梗塞に罹っている事を考えると、
自分にも来るかもしれないという恐怖。


夫に、
”面倒を診てもらえないかもしれない”
という不安。



私が結婚前に入院した際には、
夫は、2日に一度ぐらいの割合で病院に来てくれていた。
凄く嬉しかった。



しかし今では、私があまりにも、
365日いろいろと病気を抱えているので、
辟易しているのか、
夫は私が病気でも、ほとんど心配しない。


(過去ログで、母の帯状疱疹の事を書いたけど、
私の父も、母の病気の心配をしなかったらしい。
こういう点、怖いぐらい踏襲してるんだよなぁ・・・)




私が寝込んだ時は、
「とりあえず」という感じで、
最低でも一度は買い物をしてくれるが、
それで終わり。


3回、買い物をしてきてくれたことは、
もしかしたらなかったかも・・・。


後は居間で、テレビ&ノートPC(仕事?)&
携帯ゲーム&煙草と酒。


私は、自分が風邪を引いた時でも、
水枕やら保冷剤やらの取り替えは、
自分でやるしかない。
3年ぐらい前に夫がインフルエンザに罹った時は、
夫は寝込んでおり何もできなかったので、
私が世話をした。



母を私に置き換えると、
夫は、まるで私の行動そのものじゃないだろうか。
「病気の人を気遣わない人。」




そんな感じの夫から、

「お義父さんが仮に、お義母さんを嫌いだろうと、
一週間に何度も病院に行って世話しているのが全てだよ」

と、病院に行かない私を責めるように、
強い口調で言う事が何度かあって、
結構きつかった・・・。






母の「あの目」は父に向けたものだったのに、
私にも向けられているように感じられる。



「あの目」が脳裏に焼き付いて離れない。


いつになったら消えてくれるのだろう?





今月の頭ぐらいに、
何年振りかで、チューインガムを買った。
中高年の記憶力の維持に対して、
「お手伝い」するらしいガムだった。

ガムを食べながらググって、
そのガムにも含まれていた「イチョウ葉」のサプリを、
通販で買ってみた(30日分)。


先月辺りから、
血流の流れをよくするとかなんとかで、
シナモンパウダーを、
コーヒーにチョイチョイと振って
飲んだりもしている。



それらについて今日、
メンクリの院長に聞いてみたところ、

「血流の流れって、そんなに簡単に変わらないですよ」

「サプリってぜんぜん効かないですよ(^-^;A
お金が勿体ないですよ(^-^;A」


・・・との返答 orz




とりあえず、今ある30日分を飲み終えたら、
もう買わない(-ω-;)


シナモンパウダーは、
ちょっと多くストックを買ってしまったので(汗)、
使い終わるまで半年以上かかりそうだけど、
こっちは続けていこう。
血流うんぬん関係なく。



なんだか不安なんだよなぁ・・。
うちの母親親含めて、母の実妹や実弟4人が、
全員、脳梗塞を患っているもんで・・・。


脳梗塞ではなくても、
「脳」に関わる大きな病気が、
私にも、ドーン!・・と来るんじゃないだろうかと・・・。



じゃあ実際に、なんかやってるのか、となると、
なんもやってないんだけど・・・。
ただ不安だ不安だと言っているだけで。



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