生前、病だらけだった母親の病歴。
病名や症状は時系列ではないが、病気ばかりの自分の不安も含めてメモ。
(なお、40代半ばより前の、若い頃の疾病などは、
本人から聞かされたかもしれないが、私は記憶に残っていない)



◎50歳前(48か49の頃)◎

心房中核欠損症 心房中隔欠損症 の手術で3~4か月入院。








◎50代前半~60代前半ぐらい◎

歯科通院多し




脳しんとう(?)で一度倒れる。
朝、出勤前の支度をしていたら、台所から「バターン!!」と大きな音がして、
びっくりして目を向けたら、母親が両目を開けたまま仰向けで倒れていた。
泣きながら何度か叫んだ。そしたら母親は我に返って目覚めた。
倒れて気を失った自覚はあったらしく、自身にも言い聞かせるように、
「だいじょうぶ、だいじょうぶ・・・」と言いながら起きた。
あのとき私がいなかったら一体どうなっていたか・・・。
確かこのころは姉は結婚して実家を出ていた時で、父も宿直で会社に泊まっていた。





医者から糖尿を告げられ、塩分と糖分の食事制限。
自分用の、食事制限中の食事と、
私(と、家に居る時の父)の分の食事と両方を作っていたので、さぞかし大変だったと思うが、
私はこの時もヒトゴトで、母親の手伝いなども一切しなかった。






帯状疱疹





「カレーを食べると胸やけする」と言い、食べられなくなった。




「頭が熱い、熱い」と言い、氷水を入れたビニール袋を、
頭頂部に乗せている時がよくあった(季節失念)。





下腹部の痒み(糖尿によるもの?)




頭部を小刻みに揺らしているのを何度も見た。
本人に自覚はないようで、
私が「また揺れてるよ」と言っても「あら?そう?」で終わっていた。
(どちらかと言うと、私の言い方はマウンティング&指摘に近かった^^;)








◎60代半ば~70代半ば◎

胆石の手術。


歯科通院も続く。


ヒザの痛み
両膝の痛みが強くなり、料理以外の家事は全て父がやっていた模様。
整形外科にも、薬を取りに父が出かけていた。

もちろん膝の状態が酷いため後に手術をしたと思うので仮病ではないだろうが、
永らく家の中のことの殆ど(子育ても全て)を押し付けられていた母からの、
父への仕返しのような気もする。










自分の身辺に気を配れなくなっている様子を何度か目にした。



両目の手術。
(前回の私の白内障の日記でも書いたけど、
母親の手術が緑内障か白内障だったのかも憶えていない)




電話で会話中に無反応な事がしばしばあった(脳梗塞が近かった?)。




注意力の低下(上記に似た感じ)



・膝の手術  → 手術成功  → 
一週間後に退院の予定 → 院内で脳梗塞発症 → 数か月後に脳梗塞で死亡



2018.06.12 憎しみの目
カテゴリーを何処にしようか少し迷ったが、
やはり母のカテゴリーにした。
(ただ、今回の話は、
どちらかといえば母は被害者っぽいけど・・・)


*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~




時々、思い出してしまう。


入院中の母の、
父への「あの目」。


顔の半分下まで掛布団で隠し、
眉間にしわを寄せ、
父を凝視していた。


視線をはずさない。
じーーっ・・・と見ている。


それを、夫も私は2~3回見かけた。


「ほら、お母さん、いっつもこうやって、
お父さんのことを睨むんだよ(笑)」

と父が言っていた。




夫と私が病院に来た時を狙って、
故意にやってるんじゃないとは思うけど、
父が鼻毛切りで、
少し伸びている母の鼻毛を切ろうとすると、
喋れない母は、
首をイヤイヤと振って拒否していた。


そして父は、
”やれやれ困ったな・・・”
という感じで、
小さい声で「ははは…」と笑った。


そういった光景も2回ほど見た。





過去にも書いているけど、姉も私も、
ほんの数回しか母の入院先を訪れず、
母の看病を父に全部押し付けていた。



きちんと親御さんや親族の方の入院先に行き、
身の回りの世話をし、
精神的にも支えている(支えていた)人から見たら、


「一体なんなんだろう?この女は」

・・・と呆れられてしまうかもしれないけど・・・。



うまく言えないけど、
重度の脳梗塞の母が、
健康な人と同じ感情を、
どの辺りまで持ち続けていることができるのか、
私は全くわかっていなかった。
いや、今もわかっていないけど…。



ただ、母が亡くなった後、父の口から、
晩年は、よく母に怒鳴り散らしていたこと、
(しかもそれを得意気になって私に話していた父)
マシンガントークの如く、
父の母に対する悪口などを嫌というほど聞かされてきて、


だんだん、あの時の母の「あの目」は、
怒っていた目だったのだとわかるようになってきた。
今さらだけど・・・。


鼻毛のカットも、おそらく、
”こんな人にやってもらいたくない”
という拒否の表れだったのかもしれない。



2年ぐらい前だったか、父が電話で、
「お母さん、病院でいっつも、
お父さんのこと睨んでたじゃん。
お父さんのことが嫌いだったんだな」
と言っていた。


父も、私と同じで、
なんで睨まれているのかわからなかったようだ・・・。





さっき
「全くわかっていなかった」
と書いたが、そうじゃない。


「わかろうとしてなかった」のだ。


私は、病院で、
母と意思の疎通が取れた事が二度ほどあった。


母の入院先に夫と行く時は、
母の病室で父と待ち合わせる事が多かった。


しかし、夫と私が病室に後から到着すると、
父は必ず、10分もしないで
「ほい、帰るよ」と言った。


私が
「えっ?いま来たばっかりじゃん?」
と言ってもダメで。
父は帰り支度を始めてしまう。
仕方なく夫も私も帰る支度をする。


おそらく父は、私たち夫婦よりも、
早い時間に病院に来ていたのだと思うが、
空腹が耐えられなかったらしい。
病院帰りに3人で食事をするのが楽しみだったようだ。
(父は大変食いしん坊である)


食事の後、
駅で別れた父にバレないように、
一度だけ、夫と私の二人で、
もう一度病院に戻った事があった。



病室に入るなり、母が、私たちを見て、

”あら、やだ!来たの~?”

という顔をしたのがわかった。
あの顔は、そういう風に言っていた。


こうやって、少しだけど、
意思の疎通が取れていたじゃないか・・・。





自分の娘が二人もいながら、
入院先にやってこない。
来るのは、自分が嫌っている夫(私の父)だけ。



母は病院の中で、
どのように思っていたのだろう。


もう、
”生きていてもしょうがない”
と思ったことも、もしかしたらあったのかもしれない。



それは、
私の未来にも繋がってゆくのかな・・・と、
漠然と考えることがある。



母の血族の数人が、
脳梗塞に罹っている事を考えると、
自分にも来るかもしれないという恐怖。


夫に、
”面倒を診てもらえないかもしれない”
という不安。



私が結婚前に入院した際には、
夫は、2日に一度ぐらいの割合で病院に来てくれていた。
凄く嬉しかった。



しかし今では、私があまりにも、
365日いろいろと病気を抱えているので、
辟易しているのか、
夫は私が病気でも、ほとんど心配しない。


(過去ログで、母の帯状疱疹の事を書いたけど、
私の父も、母の病気の心配をしなかったらしい。
こういう点、怖いぐらい踏襲してるんだよなぁ・・・)




私が寝込んだ時は、
「とりあえず」という感じで、
最低でも一度は買い物をしてくれるが、
それで終わり。


3回、買い物をしてきてくれたことは、
もしかしたらなかったかも・・・。


後は居間で、テレビ&ノートPC(仕事?)&
携帯ゲーム&煙草と酒。


私は、自分が風邪を引いた時でも、
水枕やら保冷剤やらの取り替えは、
自分でやるしかない。
3年ぐらい前に夫がインフルエンザに罹った時は、
夫は寝込んでおり何もできなかったので、
私が世話をした。



母を私に置き換えると、
夫は、まるで私の行動そのものじゃないだろうか。
「病気の人を気遣わない人。」




そんな感じの夫から、

「お義父さんが仮に、お義母さんを嫌いだろうと、
一週間に何度も病院に行って世話しているのが全てだよ」

と、病院に行かない私を責めるように、
強い口調で言う事が何度かあって、
結構きつかった・・・。






母の「あの目」は父に向けたものだったのに、
私にも向けられているように感じられる。



「あの目」が脳裏に焼き付いて離れない。


いつになったら消えてくれるのだろう?





2016.06.22 病院めぐり
【大変長文乱文です】
最終更新 2016年6月25日


胃カメラの後、寝込んだことを、
一つ前の日記に書いた。


あの日記の二日後に、今度は耳鼻科に行った。
熱は下がったものの、
鼻づまりだけがよくならず(くしゃみ、鼻水は殆ど完治)、
唾を飲み込むと、左耳の中で、
ボコッボコッと音がしていたからだ。



お薬手帳を見ながら時系列で記載。
【5月からの通院のまとめ】

そもそも最初の発端は、
「エビリファイ終了」
の辺りに書いた、
4月中の慢性的な吐き気によるものが最初だった。


しかし、エビリファイをやめて暫くしても、
なかなか胃のむかつきが取れないので、



5月9日に胃腸科に行き、薬をもらった。
この時に、院長に、
「胃カメラ、一年ぶりなのでやりましょう」
と薦められてしまい、予約を入れた。



5月18日には、いつもの皮膚科



5月24日の夜に、左目に急激な痒み。
一分くらい痒みが止まらなかった。
鏡を見たら、左目の白目の下半分が、
(たぶん擦り過ぎで)真っ赤だった。


翌朝に目やにが溜まっていなかったので、
結膜炎ではなかった。


でも少し赤みが残っていたので、
かかりつけの眼科に行った。
(たぶん半年以上ぶりぐらい)

そしたら運悪く、この曜日は全休に変わってしまっていた。


慌てて近くの調剤薬局を探し、
この日の曜日にやっている眼科を調べてもらった。


そしたら、その眼科で、
また「眼圧が髙い」と言われた・・・。
(3年くらい前に別の眼科で言われたのと同じ)


あと、母親が緑内障の手術 をし、
脳梗塞で亡くなったことも問診票に書いたので、
それも院長は気になっているらしかった。
眼底検査をすることになり、「例の目薬」を入れてもらう。
【訂正】緑内障かどうか覚えていない。白内障だったかもしれない。





5月29日に胃カメラ 
胃カメラをやる前の日記

「胃カメラの後、寝込む」の日記



胃カメラの翌日に、
風邪とほぼ同じような症状が出て数日寝込んだ。
そして5月30日に内科。



6月1日はいつもの精神科


6月3日は、いつもの皮膚科


冒頭に書いた通り、
鼻が治らなかったので、同日6月3日に耳鼻科




6月7日頃から胃酸過多が出始め、
6月8日は終日、口の中が酸っぱくて辛かった。
掛かり付けの胃腸科は予約制だが、あまりにも辛いので、
急患で診てもらいたく、
6月9日の朝イチで出かけた。


また、この時の診察で、
5月27日より、一日の排尿回数をメモっていることを伝えた。


もっと前に胃腸科の先生に言えばよかったのかもしれないが、
胃のむかむかの方が気になっていたので、
頻尿の事はとりあえず横に置いておいた感じだった。


以前の検査でγ-GTPが少し高いことが、
院長先生は気になっていたようで、
「腎臓に何かあった場合も数値が高くなることがあります」
と言っていた。
(私は酒は殆ど飲まないし、飲まないでも過ごしていられる)


なので「腹部エコー」をしてもらう事になり、予約を入れた。


胃腸科での尿検査でも異状がなかったが、
私からの「残尿感がある」という訴えが気になっていたらしい先生は、
◎◎駅前の泌尿器科の受診を薦めた。



翌日6月10日に眼科で視野検査。
結果、視野検査では特に異状はないが、
「前回の眼底検査との結果が合わない」とか、
そんなようなことを院長が言っていたと思う。


そのため、
来月7月にも眼底検査、
また、8月にも、
今度は別の視野検査の予約を入れられてしまった。




眼科の後、病院のはしご。
胃腸科の院長から薦められた泌尿器科へ行く。
5月27日からメモっている排尿の回数のメモを持参。
また、「胃腸科から通院を薦められた旨」を告げる。


その病院で、
検尿と、簡単なエコー検査をしてもらったが、
菌もなく特に異状はなし。
「ベタニス」という薬を一か月分もらった。
一か月後にまた受診ということで予約を入れてもらった。




6月15日 いつもの精神科。

カウンセラーは、
この度の病院めぐりの話をよく聞いてくれたし、
「病院に行って調べてもらう方が重要なんだけど、
でもそれの方が逆にストレスになってるね」
と言っていた。

あと、眼科の院長に、
「(目が)寄ってる寄ってる」と言われた事も話した。


カウンセラーに、
掛かり付けの眼科に転院した方がいいかどうか相談すると、
「もしアレなら院長先生に相談してみたら?
専門の病院は、原因となる”そこ”しか視ないし、
(メンタル関係かどうか)総合に診るのは院長先生だから」
と言われた。


しかし精神科の院長は・・・・

「身体に色々と異変が出て、病院に行って、
不安なのはよくわかるんですが、
それをこちらに聞かれても正直困ってしまいます」



・・・と言った。



結局、眼科の転院はしないでおくことにした。
かかりつけの眼科のほうが気が楽だったが、
また最初から、眼底検査だの視野検査だのと、
お金が掛かってしまうことも気がかりだったので。






6月16日は胃腸科で腹部エコー。

病院出発前の自宅にいる時点で、
すでに6回も排尿してしまっていたため、
出発一時間前に水を1リットル飲んだ。

それがすぐに排尿を促してしまった為か、
病院に到着した頃には、漏れそうで大変になった。

あんな想いをしたのは初めてだ。
本当にもう
「我慢ができない」
「我慢してるのが苦痛」
という感じだった。


エコーの検査結果は、この日のうちに出たのだが、
異状なし。


ただ、院長は診察時に私に告げなかったが、
院長の目の前の端末に(私のカルテやデータが打ち込んである)、


「機能性ディスペプシアの疑い」


・・・と表示されていた。


「機能性ディスペプシア」(アステラス製薬のHP)




胃カメラも異状なし、
エコーも異状なしと来ると、
もう、院長先生としては「手を尽くした」という感じなのだろう・・・。
胃酸過多の事に関しても、
「あんまり深く考えないほうがいいんじゃない?」
と言われてしまったし、
頻尿の事に関しても、
「水分、摂りすぎてる、って事は、ない?」
とも言われてしまった。


私が、「いや、そんなに摂ってる自覚は・・」
と答えると、
「だいたい何リットルくらい?」と言われてしまった。


正直、自分が一日平均、
どの程度飲んでいるかわからない・・・。
リットルで示せと言われても・・・・。


それでも私が懸命に答えようとしていると、
先生の相槌が
「はい、はい、はい、はい」という、
まるでサンドウィッチマンのネタにもあるような、
「うん、うん、うん、うん」みたいな感じだった。
「答えを急かされる」というか・・・・。



胃酸過多ぐらいで、急患で行ったのは、
神経質すぎたのかなぁ・・・。
私は辛かったから行ってしまったんだけど・・・。


「気にしないほうがいいんじゃない?」
と言われてしまったことで、
今後は、胃酸過多ぐらいで、
診てもらいにくくなってしまった気がする・・・。
(胃酸過多になる確率が高い自分)


行ってもまたどうせ、昨年と同じで、
「胃カメラやりますか?」
「エコーやりますか」
のコースになるのかもしれないし・・・・。




胃腸科の先生から、
「サジ投げ」(????)のような対応をされたことで、
凄く不安になってしまった。
また、頻尿も相変わらずだし、
毎日幾度も腹部を圧迫して尿意があって不快なので、
胃腸科の翌日に、
急遽、件の泌尿器科に行ってきた。



しかし結局、別の薬を出されるわけでもなく、
「ト◎レに行きたくなったら、5分10分、我慢してみてください」
と言われただけで終わった・・・・。



それから我慢はするようにしている。
排尿の回数も、一日10回以下になってきた。
(女性の場合だけかもしれないが、一日平均で7~8回らしい)


5月27日以降の排尿の回数のチェックでは、
10回とか12回、15回なんて日もあった。


そこから比べたら、
一日10回以下になったのは喜ばしいことかもしれないが、
お手洗いに行くのを我慢しているだけであり、
相変わらず腹部の圧迫感もあって、
お手洗いに行けばいつでも
排尿(少量でも)できるような感じなので
今も悩みの種である。


近々外出する予定があり、電車に長く乗る。
目的先でも拘束時間が長く、お手洗いに行くのが難しい。



どうしたものか・・・。
まったくスッキリしない・・・。
残尿感が消えない。



私の身体って、いったいどうなってるんだろう・・・。



病院めぐりも、もう疲れたな・・・。
「自業自得・自己管理が出来ていない自分が悪い」と、
言われてしまえばそれまでだけど・・・・。



こう、毎日とか、
一日おきとか病院に出かけていると、
待合室で人がたくさんいる中で、じっとしていたり、
眠くもないのに目をつむって寝たふりをしてみたり、
とても精神的にも疲れる・・・・。


引きこもりだからなおさらだ。


とりあえず今週は病院に全く行く用事が入ってないので
なんとか精神的には楽だ。





2015.12.18 一般常識なし
最終更新 2016年7月4日


この年齢になると、世間一般では、
冠婚葬祭のことに関しては、
正しいか間違っているかは別として、 
”だいたい一通りは知ってるだろう”
”全てじゃなくても、これとこれくらいは・・・”
と思う人が多いんじゃないかと推測する。


香典の場合は香典袋に・・・ということなら、
さすがにわかるのだが(簡単すぎ・汗)、
お見舞金の場合、
どういった物(封筒?)に包んで入れたらいいのか、
幾ら包むのがよいのか、
私はそういった一般常識に物凄く欠けている。


また他にも、「致命的に出来ないこと・わからないこと」
の一つとして、
受付けでお見舞金を渡す際に、
どういった言葉をかけて渡すのがよいのか、
遺族の方に、どのような言葉掛けをしたらよいのか、
失礼にあたる言葉はどういうものなのか、
それすらも解ってない。


公的な場所にいても、全く役に立たないタイプ。


夫からよく、
「自然に、自分の気持ちから出る言葉で~~云々~~」
・・・と言われることがあるんだが、
その、”自然に自分の気持ちから出る言葉” 
もわからない・・・。


”恥をかきたくない”
”うまくやらなければ”
という感情だけは、強い気がする・・・。

それはたぶん、
両親から刷り込みされた固定観念。


”やーねぇアンタったら。
もういい年齢なのに、知らないの?”


・・・と、母親の声が聞こえるようだ。


”知ってて当たり前”
”知らないほうがおかしい”
みたいな感じ。



”もし、受付を頼まれたらどうしたらいいのだろう…”

”お茶を入れるタイミングは…??”

”会社の同僚の方々などには、どのようにご挨拶したらいいのだろう・・・???”


頭の中でぐるぐるまわる。




過去に山口智子が主演した、
連続ドラマ「ダブルキッチン」の第一回を思い出してしまう。


山口智子の役は、長男(高嶋政伸)の嫁だったが、
その長男の母(演:野際陽子)が厳しい人間だった。


また、その親戚側のチェックも厳しかった(野際から見ると義両親側)。
「こうあるべき」「こうするべき」が蔓延した内容の、
ドラマ第一回目だった。


じじーもばばーも、みんなうるさかったw
山口智子が何か失敗をすると、
うるさい親戚が野際陽子に指摘をしてくる。
野際はヒヤヒヤする。


野際陽子は、
「私は嫁(山口智子)に恥をかかされている」という想いが強く、
山口智子に文句や愚痴を沢山あびせる。


そして山口智子は、
葬式が執り行われている一軒家の庭で夜、
声を抑えて泣く。


私は、このドラマのような状況と全く同じ立場に
立たされているのではないが、
葬祭・・・となると、
パッと、このドラマを思い出してしまう。


このドラマで演じた山口智子の年齢よりも、
現在の私はだいぶ上なので、
周りの人には、
(多少の失敗はあったとしても)「そつなくこなす」
と思われてるかもしれない・・・。


そつなく・・・・・、できません!!(泣)



きのうから、みっともないくらいオタオタしている。
そばに夫がいないと、多分まったくダメダメだ。


夫は冠婚葬祭に関して、
常識の範囲で頭の中に入っている(と思う)。
私なんか、
「ご霊前だっけ?ご仏前?????」
・・・もう、そんな辺りでモタついているのだ。


自分の母親の時も、
どうやったか殆ど覚えていない。
うちの父も姉も私も、夫に頼りっきりだったのだ。
夫が、葬儀屋さんと相談したり、色々と決めていた。


うちの家族(実家)って、私も含めて、
なんでこんなにダメダメなんだろう??



病院へのお見舞いだって、
父なんか開口一番、

「お父さん、ちょっと体調が悪いんだよなー」
( ↑ でも全然体調不良そうじゃなかった)
と言って拒否。


姉も「私、仕事やすめないからダメだよ」と言い、
私一人が行くことになっていた。
(夫も仕事を休めない)


百歩譲って、
父親の体調が本当のことだとしても、
「仕事だからダメだよ」
などと言ってお見舞いを断るのって一体・・・?


本当にもう、うちの姉も、
父親の考え方を見事に踏襲してるな。
「仕事、と言えばなんでも免除される、許される、回避できる」
と思ってる感じで。





更に父は、私が電話連絡した際に、
突然、病院へのお見舞いとは全く脈略のない話を言い始めた。

父 「あそこって、孫、何人だっけ?」

私 「「知らない」と答えた(いちいち覚えてないし)。

父 「今どき子供を〇人も産むバカいるかよ」


・・・などと言っていた。
心底あきれた。


私 「そんなこと言うもんじゃないよ?
  それに子供が○人いようと、
  お父さんが世話するわけじゃないんだから、
  関係ないでしょう」

と反論したものの(私、よく言った。頑張った、よしよし)、


「そりゃそうだけどさーー」と憮然とした声だった。




母の入院から亡くなるまで、
そして亡くなった後から今までの、この数年の間で、
父親の物言いが本当に酷すぎることを知った。


年齢のせいなのか、認知症でも入っているのか、
元々の性格だったのか、どこか病んでるのか。


それはともかく、
私が実家にいた頃よりも物言いの酷さが悪化してるかも?
それとも、酷い物言いは前からあって、
私は嫌々実家にいたから、憶えていないだけなのか・・・。



うちの父親の、「産むバカいるかよ」の発言は、
夫にも話した。
私が自分の心の中に留めておけるわけがなく・・・。

そういう点では私も、父と同じなのだ。
我慢ができない。
言いたいことをパッ!と言ってしまう。
父だけでなく、やはり、生前の母とも全く同じ。



実は私は、
4年前に母が入院した際、
病院の見舞に5回行ったか行かないかくらいだった。
父親に全て、
入院中の母の世話を押し付けた。


姉に限っては、
見舞は確か1回しか行ってないと思う。
姉が次に母と会った時には、亡くなった直後だった。


電車に乗って病院に何度も通うのがキツかったとか、
母が私を認識できない状況を(重度の脳梗塞のため)、
目の当たりにするのが辛かったとか、
色々と理由はあったものの、
それらは全て「言い訳」に過ぎない。


だから、父のことも本当は、
私は色々と言える立場じゃないかもしれない。


しかし、夫に対して愚痴を言ってしまう。
夫は被害者。


”ACの事などをわかっていない人に話をしても無駄”

”理解されない”

”話さないほうがいい”

という話は、ネットで何度か目にしたことがある。


でも私は全く、我慢ができないのだった。
これまで数限りなく夫に、
父や姉の悪口を話している。



今回も、私は夫に、

「お父さんは、お母さんが死んだあとも悪口三昧だし、
やれ、病気ばかりしてカネが掛かっただの、
やれ、お父さんに内緒で服だのナンだの色んなもん買ってだの、
何度も何度も同じことばっかり言ってて。
お母さんの世話したのだって、義務なんじゃないのかね。
そこに愛なんかなくて、ただの義務。
だから入院中のお母さんのことを、
脳膜炎だなんて差別用語で言ったり、
お姉ちゃんだってそれに対してお父さんに直接怒ってたし。
おばさん(母の実妹)だって、
”そんなこと言ってたの?”って怒ってたじゃん」



上記の内容は再三、
夫にも話してきている内容であり、
きのう敢えていうような事でもないのだ。
ただ父を罵倒したいだけの私。



そしたら、
夫が夕メシ食いながらキレた。
前にも似たような言葉で叱責されたことがある。
今回もそうだった。


「義務だってナンだって、
(お義父さんは)やることやってんだよ!
人の生き死に関わるってそういうことだよ!」



仮に愛がなくても、義務でも、
やっぱり、やることやってる人のほうが、
エライというか「人としては当たり前」って話なのかな・・・(-ω-;)


脳梗塞の母親を殆ど見舞わなかったという疾しさが、
今でも私の心の中にずっとある。
今さら言っても仕方ないけど・・・。



夫の中には、やっぱりいつまでも、
そういった私の非道というか、
自分の実母の見舞に殆ど行かなかった事実が、
色濃く残ってるんだろうなぁ・・・。


”やることやってんだよ”
ってのは、
私を責めてる言葉のようにも受け取れる。
”お前は病院に殆ど行かなかったけど、
悪口言ってたって、お義父さんは病院に何度も行ってたんだよ!”
みたいな・・・。


こんな、私の実家や親戚みたいな、「薄い人たち」を見て、
夫はびっくりしてるんじゃないのだろうか。
こういった、私の原家族の状況を、
義母が知っているかどうかわからないけど、
もし知ったらうちの夫以上に驚くと思う・・・。


夫に訊いたところ、夫の親族は、
”もうずっと連絡とりあってなくて連絡が付けられない”
という状況は、ほぼ無いらしい。
どの親族もツーカーというか、
最新の連絡先は把握できているようだ。


しかし私の母親側の親族は、
連絡がつけられない家族が2~3ある。


私が小さい頃は、
従姉妹の家族同士で海に行ったり、
お正月に集まったりして和気あいあいしてたんだけど、
いったいどこからおかしくなってきたんだろうな・・・。


生前の母が、
”おじいちゃんおばあちゃん(母側)が(病気で)
倒れたあたりよ”
と言っていたような・・・。



はぁ・・・
ただ長いだけ。
だらだらだらだら書いてしまった。
常識のない自分の話から、
父親からの暴言、
果ては、母親の見舞いに行かなかった自責の念の話など、
てんこ盛り過ぎて、
いったい自分でも
何を中心に書きたかったのかわからなくなった。



相変わらずの日記だけど今回はここまで。