<三度目>

ゴールデンウィークが近づいてきた。
人によっては10連休になると云う。


長期間の休みになるとたまに思い出すので、三度目の掲載。



-------------------------------------------------

<二度目>

お休みの長い時期になると思い出すので、過去記事の再掲載。



いつまでも、
「いらない感」
「必要とされてない感」
が拭えない。



学生時代(いつごろだったかは曖昧)の、
長い休み(夏休み、冬休みなど)の時に、
何度か母に言われた言葉。


あー!
早く学校が始まればいいのに。




そしてもれなく、以下の言葉のいずれかがくっついてくる。

●アンタがいるとなんにも進まないのよ

●アンタがいると何々ができない

●アンタが休みだと、どーのこーの。

●アンタがいると、云々。





母には、
私の長い休みがイライラの元だったらしい。
人間だから、イライラすることもあるだろう。
女性には更年期というものもある。
私だってイライラは起こる。


でも母は、それを自分の娘のせいにしちゃいけなかったのだ。


子供は、好きで長期の休みに入っているんじゃなくて、
学校で決められているから休んでいる。


あんなことを何度も言われていたら、

「自分が夏休み(冬休み)で家にいると、お母さんは迷惑なんだ」

「お母さんがイライラするのは自分のせいなんだ」


・・・と思ってしまうのは間違いない。
(しかし当時の私は気づけなかった)。、




仮に、私がクラブ活動をしていて(実際には帰宅部だった)
夏休み(冬休み)中に、
クラブの練習で朝から夜まで家にいなかったとしたら?


もしそうだったら、
私が朝から晩まで家にいないことで、
母親はのびのびと過ごせたのかもしれなけど、
常に母の心にはイライラが充満しているので、


他の理由をつけて、
イライラの発散を私に向けていただろう。



結局、私が家にいようといまいと、
母は私をストレスのはけ口にしていたと思う。








生前、病だらけだった母親の病歴。
病名や症状は時系列ではないが、病気ばかりの自分の不安も含めてメモ。
(なお、40代半ばより前の、若い頃の疾病などは、
本人から聞かされたかもしれないが、私は記憶に残っていない)



◎50歳前(48か49の頃)◎

心房中核欠損症 心房中隔欠損症 の手術で3~4か月入院。








◎50代前半~60代前半ぐらい◎

歯科通院多し




脳しんとう(?)で一度倒れる。
朝、出勤前の支度をしていたら、台所から「バターン!!」と大きな音がして、
びっくりして目を向けたら、母親が両目を開けたまま仰向けで倒れていた。
泣きながら何度か叫んだ。そしたら母親は我に返って目覚めた。
倒れて気を失った自覚はあったらしく、自身にも言い聞かせるように、
「だいじょうぶ、だいじょうぶ・・・」と言いながら起きた。
あのとき私がいなかったら一体どうなっていたか・・・。
確かこのころは姉は結婚して実家を出ていた時で、父も宿直で会社に泊まっていた。





医者から糖尿を告げられ、塩分と糖分の食事制限。
自分用の、食事制限中の食事と、
私(と、家に居る時の父)の分の食事と両方を作っていたので、さぞかし大変だったと思うが、
私はこの時もヒトゴトで、母親の手伝いなども一切しなかった。






帯状疱疹





「カレーを食べると胸やけする」と言い、食べられなくなった。




「頭が熱い、熱い」と言い、氷水を入れたビニール袋を、
頭頂部に乗せている時がよくあった(季節失念)。





下腹部の痒み(糖尿によるもの?)




頭部を小刻みに揺らしているのを何度も見た。
本人に自覚はないようで、
私が「また揺れてるよ」と言っても「あら?そう?」で終わっていた。
(どちらかと言うと、私の言い方はマウンティング&指摘に近かった^^;)








◎60代半ば~70代半ば◎

胆石の手術。


歯科通院も続く。


ヒザの痛み
両膝の痛みが強くなり、料理以外の家事は全て父がやっていた模様。
整形外科にも、薬を取りに父が出かけていた。

もちろん膝の状態が酷いため後に手術をしたと思うので仮病ではないだろうが、
永らく家の中のことの殆ど(子育ても全て)を押し付けられていた母からの、
父への仕返しのような気もする。










自分の身辺に気を配れなくなっている様子を何度か目にした。



両目の手術。
(前回の私の白内障の日記でも書いたけど、
母親の手術が緑内障か白内障だったのかも憶えていない)




電話で会話中に無反応な事がしばしばあった(脳梗塞が近かった?)。




注意力の低下(上記に似た感じ)



・膝の手術  → 手術成功  → 
一週間後に退院の予定 → 院内で脳梗塞発症 → 数か月後に脳梗塞で死亡



2018.06.12 憎しみの目
カテゴリーを何処にしようか少し迷ったが、
やはり母のカテゴリーにした。
(ただ、今回の話は、
どちらかといえば母は被害者っぽいけど・・・)


*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~




時々、思い出してしまう。


入院中の母の、
父への「あの目」。


顔の半分下まで掛布団で隠し、
眉間にしわを寄せ、
父を凝視していた。


視線をはずさない。
じーーっ・・・と見ている。


それを、夫も私は2~3回見かけた。


「ほら、お母さん、いっつもこうやって、
お父さんのことを睨むんだよ(笑)」

と父が言っていた。




夫と私が病院に来た時を狙って、
故意にやってるんじゃないとは思うけど、
父が鼻毛切りで、
少し伸びている母の鼻毛を切ろうとすると、
喋れない母は、
首をイヤイヤと振って拒否していた。


そして父は、
”やれやれ困ったな・・・”
という感じで、
小さい声で「ははは…」と笑った。


そういった光景も2回ほど見た。





過去にも書いているけど、姉も私も、
ほんの数回しか母の入院先を訪れず、
母の看病を父に全部押し付けていた。



きちんと親御さんや親族の方の入院先に行き、
身の回りの世話をし、
精神的にも支えている(支えていた)人から見たら、


「一体なんなんだろう?この女は」

・・・と呆れられてしまうかもしれないけど・・・。



うまく言えないけど、
重度の脳梗塞の母が、
健康な人と同じ感情を、
どの辺りまで持ち続けていることができるのか、
私は全くわかっていなかった。
いや、今もわかっていないけど…。



ただ、母が亡くなった後、父の口から、
晩年は、よく母に怒鳴り散らしていたこと、
(しかもそれを得意気になって私に話していた父)
マシンガントークの如く、
父の母に対する悪口などを嫌というほど聞かされてきて、


だんだん、あの時の母の「あの目」は、
怒っていた目だったのだとわかるようになってきた。
今さらだけど・・・。


鼻毛のカットも、おそらく、
”こんな人にやってもらいたくない”
という拒否の表れだったのかもしれない。



2年ぐらい前だったか、父が電話で、
「お母さん、病院でいっつも、
お父さんのこと睨んでたじゃん。
お父さんのことが嫌いだったんだな」
と言っていた。


父も、私と同じで、
なんで睨まれているのかわからなかったようだ・・・。





さっき
「全くわかっていなかった」
と書いたが、そうじゃない。


「わかろうとしてなかった」のだ。


私は、病院で、
母と意思の疎通が取れた事が二度ほどあった。


母の入院先に夫と行く時は、
母の病室で父と待ち合わせる事が多かった。


しかし、夫と私が病室に後から到着すると、
父は必ず、10分もしないで
「ほい、帰るよ」と言った。


私が
「えっ?いま来たばっかりじゃん?」
と言ってもダメで。
父は帰り支度を始めてしまう。
仕方なく夫も私も帰る支度をする。


おそらく父は、私たち夫婦よりも、
早い時間に病院に来ていたのだと思うが、
空腹が耐えられなかったらしい。
病院帰りに3人で食事をするのが楽しみだったようだ。
(父は大変食いしん坊である)


食事の後、
駅で別れた父にバレないように、
一度だけ、夫と私の二人で、
もう一度病院に戻った事があった。



病室に入るなり、母が、私たちを見て、

”あら、やだ!来たの~?”

という顔をしたのがわかった。
あの顔は、そういう風に言っていた。


こうやって、少しだけど、
意思の疎通が取れていたじゃないか・・・。





自分の娘が二人もいながら、
入院先にやってこない。
来るのは、自分が嫌っている夫(私の父)だけ。



母は病院の中で、
どのように思っていたのだろう。


もう、
”生きていてもしょうがない”
と思ったことも、もしかしたらあったのかもしれない。



それは、
私の未来にも繋がってゆくのかな・・・と、
漠然と考えることがある。



母の血族の数人が、
脳梗塞に罹っている事を考えると、
自分にも来るかもしれないという恐怖。


夫に、
”面倒を診てもらえないかもしれない”
という不安。



私が結婚前に入院した際には、
夫は、2日に一度ぐらいの割合で病院に来てくれていた。
凄く嬉しかった。



しかし今では、私があまりにも、
365日いろいろと病気を抱えているので、
辟易しているのか、
夫は私が病気でも、ほとんど心配しない。


(過去ログで、母の帯状疱疹の事を書いたけど、
私の父も、母の病気の心配をしなかったらしい。
こういう点、怖いぐらい踏襲してるんだよなぁ・・・)




私が寝込んだ時は、
「とりあえず」という感じで、
最低でも一度は買い物をしてくれるが、
それで終わり。


3回、買い物をしてきてくれたことは、
もしかしたらなかったかも・・・。


後は居間で、テレビ&ノートPC(仕事?)&
携帯ゲーム&煙草と酒。


私は、自分が風邪を引いた時でも、
水枕やら保冷剤やらの取り替えは、
自分でやるしかない。
3年ぐらい前に夫がインフルエンザに罹った時は、
夫は寝込んでおり何もできなかったので、
私が世話をした。



母を私に置き換えると、
夫は、まるで私の行動そのものじゃないだろうか。
「病気の人を気遣わない人。」




そんな感じの夫から、

「お義父さんが仮に、お義母さんを嫌いだろうと、
一週間に何度も病院に行って世話しているのが全てだよ」

と、病院に行かない私を責めるように、
強い口調で言う事が何度かあって、
結構きつかった・・・。






母の「あの目」は父に向けたものだったのに、
私にも向けられているように感じられる。



「あの目」が脳裏に焼き付いて離れない。


いつになったら消えてくれるのだろう?





今年の10月に書いた「遺品の行方」
の、その2。


母の遺品の服を全て箱に詰めた。
一枚残しておこうと思った母のジャケットも箱に入れてしまった。


でも、袖を詰めてあって私には短いのだけど、
丈は全く問題のないロングコートは、
残しておこうと思った。
(母は小柄だったので、殆どの服の袖を詰めてあった)


そのコートを実際に何回か着た事があったけど、
袖が、やはり私には短い。
電車で吊皮につかまった時も、
インナーが結構見えてしまって少し恥ずかしかった。
家に残すのはいいけど、この点をクリアしなければ・・・。


2年ぐらい前だったか、
服の修理のお店に、このコートを持っていったら、
袖部分の余り布が殆どないから、
長く伸ばせないと言われてしまった。


ただ、

「袖用のファーを持ってきていただいて、
それをこちらでお付けしたら長さが出ますよ」


という案をもらったので、
ネットで、それなりに時間をかけて選んで、
そんなに高価ではない袖用のフェイクファーを買ったが、
やはり私らしく「詰めが甘い」のか、
袖周りの長さを見誤ったようで、
ファーが足りなくて付けられなかった(-ω-;)


なのでファーは無駄になり、タンスの奥に眠っている。




箱には、私の不要な服も詰めようと思った。


しかし往生際が悪い私は、
「・・・もしかしたら、まだ着られるかな・・・・」
などと望みを抱いて、何着か久々に着てみるも、
全てアウト(´∀`;)



礼服(婚礼)のスーツ2着も全くダメだ。
はぁ~・・・・。
どっちもノーブランドじゃなかったのに・・・・orz


でももうBBAだから、私には関係ないなと思い、
思い切って箱へ。
親戚にも、これから結婚するような
若い年齢の人はいないし。


それより礼服(葬式)がヤバイよヤバイよ(出川風)。
ちょっときつくなってきてるので、
これはお店で直してもらわないとマズイな。


色々と、脱いだり来たり、何着かやっていて、
箱にすべて詰めるまで3時間ぐらいかかった。
何を詰めたか、全てメモに書きながら詰めてったし。



あとは発送するだけ。


いや、発送する前に、
「これこれこういう物を送りたいのですが」的な
問い合わせを先にしなくちゃならない。


なのに、3週間ぐらい、まだ箱を置きっぱなし。


その3週間の後に、
「これも加えよう」と思い立ち、
部屋着として使っていた、
袖口と襟がボロボロ(昨シーズンまで着用)の、
トレーナー2枚とパーカー1枚も箱に加えた。
もう充分、使い倒したからいいかな、と思った。


その代わり、古着屋で(480円と980円)、
部屋着用のパーカー2枚を買ってきた。


それでもまだ送る気になっていない。


数年前にユ●クロで買った、
コーデュロイのズボン(黒×1/カーキ×2)を、
箱に詰めるふんぎりが付けられないからだ。


それぞれ引っ張り出して履いて、
「キツくてもうダメ」と自覚したのに。


母のアクセサリーは、どうしようかな・・・。
100均で、ジッパー付きビニール袋を
幾つか買ってきたから、
これに詰めて一緒に箱に入れればいいんだけど、
それなりに数があるので、こりゃ大変だな・・・・。



母のアクセサリー詰めと、
ズボン3着のふんぎりがつけられたら、送れる。




うーん・・・
この分だと、遺品の年内発送はちょっと厳しいかな・・・。
でも、あんなデカい箱を、部屋ん中に、
年をまたいでまで置いておくのも、なんだかなぁ。


奥の部屋は狭いから、
タンスの前に、そのデカい箱を置いてあって、
タンスを開け閉めするたびに、
箱を手前に少し寄せて、
身体を「くの字」にしてタンスを開けているww







2017.10.16 遺品の行方
母親が生前、買い物依存症のごとく、
洋服や装飾品を買いこんでいた辺りの話を、
過去に、ここ で書いた。


現在、私の家には、
母親が生前来ていたコートやジャケット等が10着ほどある。


ネックレスや、イヤリング、ブローチなども結構ある。
当時、無印良品のケースまでわざわざ買ってしまい、
後生大事に納めてあるという現状。


ACに気づく前の話だったので、こんなに持ち帰ってきてしまった。
今では多少、後悔している。


もしACに気づいた後だったら、絶対に引き取ってなかったか、
引き取っても1着程度で終わらせていたかもしれない。
(この「1着程度」でも引き取るというのが、また私の甘さでもあるかも)


そんな殊勝なことを言いつつ、


特定のネックレス × 1本と、
木製で出来たネックレス × 1本と、
ブローチ × 1個


・・・は、なんだかんだでたまに使っている。

( ↑ 後悔とか言ってんなら使うなよ)



今春に、ぼんやりと、
”そろそろ何処かに売り飛ばしたいなぁ・・・”
と思い、2~3軒のサイトにメールや電話で問い合わせしたけど、
未だに遺品は置いたままだ。


「遺品整理」で検索すると幾つかのサイトが出てくるけど、
故人の家の整理や片付けが主体で、

「遺品(洋服など)だけを引き取ることは弊社は行なっておりません」

という回答も来た。




また、ある人には、

「遺品は、よほどの物(新品同様&有名なブランド物)じゃないと
引き取ってもらえない」

と言われた。


そこで初めて、

”廃棄以外で、遺品って引き取ってもらうのが難しいんだ・・・”

と知った。


母の遺品は、
洋服も装飾品もノーブランド(たぶん)。
洋服のサイズも全く合わないので私は着用できない。
もうゴミ同様になってしまっている。




当時の姉は、母親の遺品に関して、
金品ばかり(腕時計など)で、なおかつ、
持ち帰りのしやすい小物だけを選んでいた。
それも素早く。


それを目の前で見ていた私は、
”ほんとうにゴーツクな奴・・・”
と思った。
洋服は一着も持ち帰っていない。



このまま(無料で)引き取り手がみつからなければ、
ゴミ捨て場に捨てることになる。


私は、心の何処かで、

”ゴミ捨て場に捨てるのはどうなのだろう・・・”

などというストッパーみたいなのが働いているから、
なかなか手放せず今も置いたままなのだと思う。


捨てるにしても、おそらく、
先ほどのネックレス含む3品と、
私自身が、見た憶えのある母のジャケット1着は、
手元に置いておきそうな気がする。


たぶん母の遺品全てを手放せないと思う。


悔しい。


完全に母を棄てきれてないのが悔しい。





あと、ちょっと面倒なのが夫。

3か月ぐらい前だったか、
うちの母親の遺品を処分しようと思う、というような話をした時、

「なんで処分すんの?」

と、ムッとした声で言われた。



繰り返しになるけど、
ほんと、ACに気づいた後だったら、
そんな面倒な服を引き取らなかったのだが、
家で保存中にカビが生えることを懸念して、
合皮のコートをクリーニングに出してしまったのだ。
しかも結構高かった。
クリーニング代だって夫のお給料から出している。


夫には、そのこと(合皮のコート)が記憶に残っているのかもしれない。



廃棄するにしても引き取ってもらうにしても、
申し訳ないけど、夫には事後で行こうと思う。
実行する前に話すと、
またあれこれ言われてしまうと思うので。




母親の遺品が洋服ダンスの3分の2ぐらいを占めていて、
私自身の服が収納できないでいる。
母が亡くなってからだから、
その状態がもう5年以上続いてしまっている。



本当になんとかしなけりゃな・・・。





2017.10.16 雨女
やっぱり私は、まだ、
親のことを出しきってないのかなぁ・・・。
先日また新たに、生前の母親の言葉を思い出してしまった。

「アンタ(私)が出かける時って必ず天気悪いのね!」

「アンタが出かける時って雨ばっかりね!」



別段、怒って言っているのでもないけど、
小馬鹿にしてる感じ。
私は母親のイライラ発散の的。



その母親の言葉に対して、
私はなんと返していたっけかなぁ・・・。

「うるさいよ!」
「またそれ?」
「(雨ばっかりって)そんなことないんじゃない?」

ぐらいは言い返してたんだろうか。

思い出せないなぁ・・・。 (← こればかり)



「仮に、私が出かける時に雨が多いとして。
それが何かお母さんに迷惑かけてるの?」

ぐらい言えたらよかったんだけどなぁ・・・。
(そんな風に冷静に言い返せていたら、
今のような仕上がりになっていないかも)



さっき、台所で洗い物などをしている時に、
何故か、ふと頭に浮かんできてしまった、
過去の母の言葉。


”どういう時に、そういう発言をするのか”
というのは無かったけど、
時々私に、
「バッッッカじゃないの!?」
と言うことがあったな・・・。


思い出せない(無意識に思い出さないようにしている?)けど、
もしかしたら母は、
姉にはそういう言葉を放ってなかったんじゃないだろうか。
母と姉が、ゴチャゴチャ口げんかをしていた記憶がないんだよな・・。
(思い出せないだけかもしれないけど)

私は母とよくバトってたけど・・・。


いま読み返している本にも書いてあったけど、

自分の周囲に好きな人と嫌いな人がいるように、
親から見ても、
かわいいと感じる子どもと、
それほどかわいいと感じられない子どもがいるものです。
大部分の親は、
この感情を自分のなかだけにとどめておこうと努力します。
しかし、ちょっとした行為の中に、
子どもは親の心理を読みとります。
夫を受け入れることができない母親に育てられた、
ある中学生の女子は、

「あなたは父親似、お姉ちゃんは母親似」

と母親に言われるたびに、

「自分が母親に受け入れられていないと感じた」

と言います。




上記の中学生の話は、
私の過去ログの「血液型で判断」となんとなく似ている。



親から愛されてなかった娘(ででむし)。

自己憐憫まっしぐら。


もう、だいぶ、
毒親に対する呪いの言葉を吐いてきたんじゃないかと思っていたけど、
まだまだ残っているのかもしれない。


以前に書いたかどうか忘れたので重複するかも・・・(汗)。


私が20代前半で働いていた頃の話。

姉は結婚する1~2年前に、歯列矯正をした。
確か顎の骨だったか・・・・(失念)を削ったか忘れたが、
けっこう大がかりな手術もした。
(姉は手術費も自分で出した。そういう点では私と違う)


ただ、矯正中の食事は、全て母に任せていた。
(姉も私も料理が不得意)



午前中に姉の為のお弁当を作り、電車に乗って、
お昼までに勤め先にいる姉に届けるということが、
母はとても大変だったらしい(私は当時もヒトゴトみたいだった)。


ヒトゴトだけに、全く覚えてないけど、
たぶん毎日だったんじゃないだろうか・・・。
それに、固い物が噛めないので、
柔らかく作らなくちゃならないから手間もかかったんじゃないかと。


家でももちろん柔らかい食事。
正月をまたいだ矯正期間だったので、、
雑煮(餅)は食えないし、
カレーも、着色してしまうのでダメだった。


だから、父と母と私の3人とは別に、
「姉だけの食事」も母が作らなくてはならなかった。




この当時、ちょうど私も、
歯科医院に通っていて(姉とは別の病院)、
やはり噛みあわせのことで院長先生から、
”矯正したほうがいいのではないか”
という話を受けた。


歯科医院から帰ってきて、
「今日お医者さんにサ・・・。
噛みあわせのことで言われて。
矯正したほうがいいんじゃないか、って」



母は声を荒げて即答。

「いやよ、勘弁してよぉ!」



よく憶えてないが、
それに対してたぶん私は無言だったかもしれない。



毎日姉んとこへ弁当を持ってくのがストレスだったんだろうけど、
「いやよ」とかさぁ・・・。


ほんとに、心に余裕の無かった人なんだな。
思ったら、ポーーーーン!と後先考えずに
反応する(父も同様)。




そりゃ私、医者から矯正すすめられたって、
貯金もしてないバカ娘だったから、
親に負担かけるのは目に見えてたんだけども。


だから私も、母に何も言えなかったのかも?
もしお金を持ってたら、
もっと強く出ていた・・・・かな?(自信なし)


・・・・もしかして、
母の弁当作りに手を貸すどころか、
”お母さんとお姉ちゃんで頑張ってやってよ”
みたいな態度で、マジでヒトゴトだった私だから、
母が復讐で「いやよ!」って言ったのかな・・・・???
(勝手な想像)




またしても、すぐに
”もしかして私が悪かったのかな?”と、
思ってしまうACあるあるな・・・(-ω-;)





白くて歯並びのいい芸能人をテレビで見ると凝視してしまう。
「うわぁ・・・羨ましい・・・」とか。

滑舌の悪かった芸人さんが前歯を綺麗にしたのを見ては、
「あぁ・・前歯が綺麗・・・」

前歯を綺麗にした女性芸人さんをテレビで見ては、
「いいなぁ・・・白い・・・」

そのように凝視ばかりしていたからか、
テレビで前歯が少し不自然な芸能人を見かけると、
”これたぶん仮の差し歯だな・・・。
いま新しい前歯を作ってるのかも”
などと若干わかるようになってしまった。


こんなことわかってもしょうがないんだよな。
そんなことわかんなくてもいいから、
とっとと歯科医院行けよっていう・・・。



やはり、なんというかAC的に、
自分を労わらない、大事にしないってのがあるからか、
歯科医院が一番、病院の中で嫌いなのに、
特定の甘い物がやめられず、
人生で一番多く通ってお金も遣っているという矛盾・・・。


まるで自分いじめをしてる感じ。


昔は本当に歯磨きしない人間で ( ← 不潔)、
毎日何か食べたらすぐに磨くようになったのが、
この4~5年ぐらいだろうか。


ただ、特定の物(現在は一社のキャラメル)を食べた後は磨かない。
一日の摂取量が多いので、
(多い時で5個以上、少ない時で2個以内)
その都度磨くのがめんどくさいからだ。


そんなことをしているから、とうとう先日、
左上の奥歯から、3ミリくらい欠けた歯が落ちた。

何か取れた時、それが柔らかかったから、
最初食べかすかと思ったが、欠けた歯だった。


欠けた歯が柔らかいって・・・相当ヤバイのではないかと思う。
それでも歯科医院の門を叩こうとしない自分。



これも過去ログで書いたかもしれないけど、
”自分いじめ”
という点では、
黒糖の塊をガシガシ毎日かじっては、
歯科医院に行く・・・・を繰り返していた母も、
私と同じかもしれない。


”甘い物を摂取して歯を駄目にして、歯科医院に行って、
ほとぼりが冷めたらまた摂取して、また歯科医院・・・・”

という無限ループを、母と私は繰り返していた(いる)。




母は晩年、前歯は入れ歯になった。


きっと私も同じになるのだろう。


(そう思いたくない自分もいるし、現実を知りたくなくて逃げている)







2017.06.29 狡猾な母
うちの母親はズル賢かった。



先日の「サンドバッグ」と少し関連するけど、
自分の夫(私の父)と結託して、
二人揃って私を責めたり叱ったりする時もある一方、
たまに、私が思っていることを、
代弁(?)するような感じで、
父に文句まがいのことを言うこともあった。
(ただの、自身の「イライラ発散」の場合も
あったかもしれないけど)


「状況」により、
自分の都合がよくなる側にまわっていたと思う。



父の方は、
私側に付くということは皆無だった。
(なにせ10才から20代半ばぐらいまで仲が悪かったので)


私は、父が飴を、
音を立てながら食べるのが物凄く嫌いだった。
とても大きい音がしていた。
舌の上に乗せているであろう飴を、
上顎で弾いて(?)食べているのか、
「ペチャッペチャッ」と鳴らしながら食べていた。


あと、近所のことも考えずに、
演歌のレコードの音量をでっかくするのもヒヤヒヤしていた。



音量に関しては、
私は実際にぼやいてたかもしれないので、
母がそれを聞いていた可能性が高いけど、
飴に関しては母に何も言ってなかったので、
もしかしたら私の知らない間に、
”イヤだなぁ・・・” と私の顔に出ていて、
それを母が読み取ったのかもしれない。



母「お父さんって、なんで飴を、
そうやってペチャペチャ音を鳴らして食べんの?」


母「(親の寝室まですっ飛んでって)
ちょっと。お父さん、(レコードの)音!大きいわよ?」


短気な父のことだから、
そこから夫婦喧嘩になるかと思いきや、
飴の食べ方と、レコードの音量に関しては、
特にもめてなかったのが不思議。



”母が私の気持ちを代弁してくれている”
などと勝手に思い込んでいたバカな私は、
母が父を前述のように注意すると、
凄くスッキリしたのを覚えている。

”もっと言っちゃれ!言っちゃれ!”
みたいな。




私はバカだったねー。
母は、私の味方なんかしてなかったのに。
ついつい、
”父とは仲が悪いけど、母とはそこまで仲が悪くない”
と思いながら実家で生活していた私。



私を味方して、庇ってくれるような人だったら、
10歳の時の、例の父からの平手叩きの時に、
母は私を庇ってくれてと思う。

庇うどころか父と結託していた。



なんだか、ほんと、
いま思うと最悪な両親だったなぁ・・・。
せめて、一方の親がマシだったらよかったのに。






最終更新 2017年3月17日


学生時代(いつごろだったかは曖昧)の、
長い休み(夏休み、冬休みなど)の時に、
何度か母に言われた言葉。


あー!
早く学校が始まればいいのに。




そしてもれなく、以下の言葉のいずれかがくっついてくる。

●アンタがいるとなんにも進まないのよ

●アンタがいると何々ができない

●アンタが休みだと、どーのこーの。

●アンタがいると、云々。





母には、
私の長い休みがイライラの元だったらしい。
人間だから、イライラすることもあるだろう。
女性には更年期というものもある。
私だってイライラは起こる。


でも母は、
それを自分の娘のせいにしちゃいけなかったのだ。


子供は、好きで長期の休みに入っているんじゃなくて、
学校で決められているから休んでいる。


あんなことを何度も言われていたら、

「自分が夏休み(冬休み)で家にいると、お母さんは迷惑なんだ」

「お母さんがイライラするのは自分のせいなんだ」


・・・と思ってしまうのは間違いない。
(しかし当時の私は気づけなかった)。、




仮に、私がクラブ活動をしていて(実際には帰宅部だった)
夏休み(冬休み)中に、
クラブの練習で朝から夜まで家にいなかったとしたら?


もしそうだったら、
私が朝から晩まで家にいないことで、
母親はのびのびと過ごせたのかもしれなけど、
常に母の心にはイライラが充満しているので、


他の理由をつけて、
イライラの発散を私に向けていただろう。



結局、私が家にいようといまいと、
母は私をストレスのはけ口にしていたと思う。