難しいな…。
夫からしてみたらどうでもいいことかもしれないし、
第一そこまで細かいことも気にしてないんだろうけど…。


ついつい、冷蔵庫に横倒しにしてある缶ビールを、
縦置きに戻してあげてしまうことがある。

食材やオカズの残りの入ったタッパーなどで、
庫内がパンパンに近い状態の時に、
夫は、縦に置けない缶ビールを横倒しにしている事がある。

タッパーの中のオカズを消化後、
庫内に少し隙間が出てきたときに、
私が缶ビールを縦置きに戻すことがある。

でもおそらく夫にとっては、
横倒しだろうが縦置きだろうが関係なく、
「よく冷えたビール」があればいいのだと思う。

更に、横倒しのビールが縦置きになっていたとしても、
自分の嫁が戻してくれたとは微塵も思わず、
自分自身で戻したと考えているかもしれない。


上記の件だけに限らず、
今日も色々と反省点が多々だ。
まだまだ私の中に根強く残っている、
「嫌われたくない」「見捨てられたくない」という感情。


”こんなこと言いたくないのに” と、
後からまた自責の念に駆られるような、
少しキツい発言をしたと思ったら、
夫の顔色を窺って、少し柔軟な物言いで接してみたり…。


ブレブレだ…。




先日のA医院のA院長先生の診察で、
「ACに気づかないほうがよかったような気がして…」
と私が言ったら、
「うーん…そうだねぇ…」 
と言われてしまった^^;


A院長先生にも同調されちゃったら、
どうしたらいいんだろう…。


というか、それなら最初から私も、
「気づかなきゃよかった」
とか泣き言を診察室で言わなきゃいいのにね…。


ACと自覚してなかった頃の自分にはもう戻れない。


でも、もし誰かが
「戻ろうと思えば戻れますよ」
と言ったとしたら、
私は戻るんだろうか。


いや、戻ってもまた辛いだけのような気もする・・・。


どっちにも行けない。


2015.07.29 申し訳なさ感
今に始まったことじゃないが、
ここのブログで好き勝手に夫のことを書いていながら、
実生活で喧嘩もなく普通に過ごせている時とを比較すると、
強い自己嫌悪に駆られることがある。


これは自分の親対しても言えることで。
3か月前の父親との電話で、
ちょっと会話中に父親を下に見るような発言をした。
しかし、父は怒りもせずに
「ははは、そうか…(笑)」などと答えていた。
(短気で、すぐ反論する父親なのに、稀にこういう返答をすることがある…)


すると、電話が終わった後に自責の念に駆られた。


生前の母に対してもそうだった。
きつい物言いで電話を終えた後に何度か泣いたこともあった。
”私ってなんて嫌な娘なんだろう”
と思ってしまう。



申し訳なさ感が常にべったり貼りついている。


書きとめなくちゃと思っていて忘れていたから、
今のうちに残しておこう。


つい先日、外出しようとして、
ドアに鍵をかけている時に、何故か急に思い出した。


”そういえば、お姉ちゃんと喧嘩すると、
お母さんから「やれー♪やれー♪」って、けしかけられてたなぁ…”

と。


その「やれー♪やれー♪」と言う口調も今でも思い出せる。
たぶん、一度じゃなくて
何度も言われたことがあったように思う。


毎日じゃないけど、
こうして少しずつ記憶が出てくるのってナンなんだろう?
しかも今回のように何の脈略もない時に急に、みたいな。


私の中の、昔の自分が
「コレもあるよー!」
「ああいうこともあったよー!」と叫んでるんだろうか?







たまたま、あるニュース記事を読んでいて、
ふと思い出してしまった。


20代の時に、正社員として勤めていた会社。
たった3か月間しかいなかった。

試用期間中にクビになったようなものだ。

社長に呼ばれて、
自己都合退職を促されるような面談した時のことを、
ぼんやりと思いだす。

いま、こうしてブログを打ちながら思い出してみるに、
もし社長が、私の職務態度の全てを知っていたとしたら、
ものすごく譲歩してくれていた「解雇理由」だったかもしれない。

10人にも満たない、こじんまりした会社だった。
4つのデスクを付き合わせて座っていた。

これは言い訳にしかならないが(コレ一つが退職の原因ではない)、
斜め前のオッサン(結構高齢)が、
しょっちゅうこっちを見ていて(顔がこっちに向いてるのを
なんとなく感じた)、
非常に仕事がしづらかった。

これはセクハラというのではなくて、
なんというか…「監視している」という感じの目線のような思えた。
或いは暇だったから私をじーっと見ていたのか。
とにかくこのオッサン、
机にただボーッと黙って座ってる事が多かった。
確か定年は過ぎていたと思う。

そして、そのオッサンから、
ほぼ毎日ぷーんと漂ってくる酒のニオイ(飲み過ぎって感じ?)。
会社にオッサンと私しかいない時も臭ってきてたので、
間違いなくそのオッサンが原因だと思う。


そのオッサンは、
「尊大な態度」という言葉がピッタリの人だった。
物凄くプライドが高くて、発言も偉そうで。
社長さんの方が、このオッサンより年下だったので、
オッサンのことを若干、扱いにくそうにしていた。

オッサンのことよりも、
私の醜態をさらすのが筋なんだろうが、
やはり「身バレ」ということを考えると詳細に書きにくい。

ただただ私は、
「有り得ない勤め人だった」





また、会社で食事を一緒にする人もゼロだった。


私はだらしなくて、
1人でメシを食えない奴(今も一人で外食ができない)。

この会社でも1人で食べるのがイヤでイヤで堪らなかった。


当時はインターネットというものもなかったので、
なんと、これまたお恥ずかしいことに雑誌に投稿したのだ。

「お昼を一緒に食べてくれる人を募集」 

みたいな感じで。


なんだ?その恥ずかしい募集は???w


今と違って個人情報にも物凄く緩い時代だったし、
よく雑誌の最後のほうに
『文通相手募集」みたいな感じで
頁が割かれていた時代でもあった。

そこに投稿したら掲載された。


そしたら一人だけ(女性)、連絡をくれた人がいた。
”毎日というわけじゃないんですが、たまに、という感じでもいいですか?”
というようなお手紙をくれたと思う。


本当に今とは違って緩かったなぁ…。
今じゃ考えられない。
いくら手紙をくれたからと言って、
相手が女性かどうかもわからない。
なおかつ見知らぬ人間に自分の住所などの詳細を報せることが、
そう危険ではなかった時代。


…まぁ、それは置いといて。
結果的に数回は一緒にお昼を摂ってもらったと思う。


私は一体、お昼を食べている間、
その人とどういう会話をしたんだろう…。
勤めている会社の愚痴とか
不満とかを話してたんだろうか…。

その人と、
どういう会話をしていたかも全く覚えてないんだが、
私の性格なら、
そういうこと(愚痴・不満)を話してそうだな…。
「抑えられる」という状態じゃない(なかった)と思う。


あの当時も、私はかなり精神的に病んでいたと思う。
「病んでいたから仕事が不真面目だった」
というのでは決してない。
心が病んでいたって真面目に仕事をしている人は、
世の中にたくさんいると思うし。


対人恐怖は、この当時からもっていたと思うが、
”見知らぬ人と一緒にお昼を食べたい”
と考えるほど、
私は切羽詰っていたのだろうと思う。


あと、さっきの高齢のオッサンからの視線。
オッサン本人は見てるつもりはなかったのだろうが、、
私には苦痛で苦痛で堪らなかった。
私は、あのオッサンの視線に、
うちの父親と同じものを見たのだと思う。

うちの父も、
ヒマで(育児家事は全て母まかせ)視線を送るところがないから、
台所の横の6帖(私がいる部屋)に
よく視線を向けていた。

何かふと視線を感じて父を振り返ると、
こっちを見ていたことが物凄く多かったのだ。



よく私は自虐的に、
「社会からドロップアウト」などを言って済ますのだが、
ドロップアウト以前に、人としてどうなのか。
「働く」「社会に貢献する」ということの意味を、
まるでわかっていないままBBAになった。





※仕事ができない、ミスが多い云々が、
グレーゾーンであるADHDが原因なのかどうか、
それはわからない※






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2015.07.20 フライパン
自分の中に基準が無かったため、
「それ」が必要な物かどうかの判断力も鈍っていた。


今もブレまくりなので大きなことは言えないけど、
すこーーーーしずつだけど、「これは必要だよね・・・」
と思えるようにはなってきた。


結婚して十数年、
フライパンを二個もったことが一度もない。
二個もつ、という頭もなかった。


100円・200円の安い買い物ではないので、
夫に「買いたい」と言っていいものかどうかも、
自分に自信がないので言えなかったりもした。


”サッサと買っておけばよかった” と思った。
やっぱり二個あるとすんげー楽チン。


でっかいのと中くらいのフライパンを一個ずつ。
それぞれバカ高いわけじゃないが、まあまあ使いやすい。


でも、「まだまだだな」と思ったのは、
ミキサー。

先日、生姜焼きのために、
結構な量の生姜をおろし金で擦ったのだが、
とっても疲れた。

夫に
「ミキサーがあると便利だなと思ったりしたんだけど」などと、
若干自信なさげに言ってしまった。


案の定、夫は無反応だった。
(しらふでの無反応なのか、酔っ払っててボーッとしてたのかは忘れた)



生姜に限らず、
大量の食材を擦るということは、
私の場合はそう頻繁にあるわけじゃない。
料理が大好き&得意というわけでもないし、
ミキサーの使用頻度も低そうな感じだ。

そういう「迷い」が、ニュアンスとして、
夫に話す時の言葉にも出てしまっていた。


まだまだだなぁ・・・。



忘れないうちに書き留めておきたい。
(ちょうどいま、夫がうたた寝しているためチャンスだ)


過去の日記(昔の母の暴言・2)の文中に書いた、
「▼▼さんと、◆◆さんは、アンタが邪魔だったんだって」■■


についての追加の話。



「▼▼」・・・・「W」、「◆◆」・・・・「A」という名前にして、
もう少し突っ込んで書こうと思う。



=================================================

「W」と「A」という二人のクラスメイトがおり、
私はその二人に腰巾着のようにひっついていた。



※私が昔から「三人」という人数が嫌いなままなのも、
トラウマが若干残っているからと思われる※




「私は、一人になるのがイヤで、
無理矢理この二人にくっついていた」。
二人に嫌われないように必死だった様な気がする。



そして、WもAも、
「私が一人になるのがイヤでくっついてきている」
・・・というのは、たぶんわかっていたと思う。


給食は、三人で机を引き合わせて食べていたが、
二人は食事中に、私に対し、
何か面白いことを言ったりやったりすることを強要した。


しかし私がそれとなく拒むと、

「…あっ、そう。やんないんだ?」

…などと、よく言っていた。


脅しのような感じだ。


あと、そういった嫌がらせの中でも、
私がよく憶えていることの一つに、
「私に半眼を強要する」ということがあった。


私の上まぶたは、
半眼するとすこーーーーし血管が浮き出るのだが、
その血管を見るのが何故か、
WとAはお気に入りだったらしく、

「やってやって!」

…と、給食を食ってる時によく言ってきた。


しかし私が
「えー?また?」
みたいな感じで拒むと、また同じように

「…あっ、そう。やんないんだ?」

と言った。



もっと細かく思い出せればいいのだが、

「独りになってもいいの?」

とか、そういうことも言われてたのかなぁ・・・。
うーん、思い出せない。
もっと色々なことを言われていたような気がするのだが・・・。


とにかく二人に言われるがままだったと思う。
私が仕方なく半眼をやると、二人がキャッキャッとウケていた。


ちょっと余談だが、この私の瞼の血管に関しては、
ここでも少し触れているけど 
うちの母親でさえも、
「あんたはヒステリーだから青筋が出る」
と悪口を向けた。



W
A の話に戻って。

あと、これは、
WとAが絡んでいたかどうか忘れたが、
私は当時、某少女漫画が大好きで、
トレーシングペーパーを、その漫画のイラスト集の上に重ねて
上から線を描いて色を塗る・・・というのもとても好きだった。


トレーシングペーパーを入手していたか忘れたが、
エアメール用の便箋も薄くて透けるので、
そういう物も使っていたと思う。

・・・で、どういう切っ掛けで、
学校で以下のような事になったか忘れたが
(私が自慢げイラスト集を持ってきたとか)、

「書いて書いて♪」
「私にも書いて」

みたいな感じでクラスメイトが自分の机の周りに寄ってきて、


私は物凄く意気揚々としていたのを憶えている。


おそらく私は、
「みんなに嫌われたくない」
という気持ちで必死だったのだろう。


それに、
「書いて」と頼んだクラスメイト達が、
どの程度、
その私が描いたものを欲していたのかわからない。
周りに流されて頼んできただけかもしれないし、
「この子(私)にお願いしたらなんでもやってくれそう」
とだけしか思われてなかったのかもしれない。

書いて渡した物だって、
家で捨てたかもしれないし、
家に持って帰るならまだマシなほうで、
下校途中に捨てた子もいたかもしれない。


描くと言ったって、
たかだか10歳前後の子供のことだ。
書ける枚数だって限られているだろう。
でも私はたぶん、断ったことがなかったように思う。


「嫌われたくない」と言う想いは必死だったと思うから、
「明日(描いて)もってくるね」
くらいのことを言っていたかもしれない。



クラスメイトの子たちに、
これだけ必死だったということは、
やっぱり私は、
実家で満たされていなかったんだと思う。


母親も言いたい放題で貶すわ、
自分のイライラを子供にぶつけるわ、
父親は母親に育児を任せて放棄(回避)してるわで、
散々な家庭だったんだな、と改めて思う。


「イラストを書いて注目を浴びたい」という理由もあったと思うが、
親から精神的に満たされていれば、
このように外部に承認欲求を求めることも
少なかったんじゃないかと・・・。





ことさらに、
ジャズを聴いていることを話す父親。
一度だけじゃなくて何度も話すので空々しい。


”ジャズが好き”
というよりも、
”ジャズを好きな自分が好き”
なのではないか?


それとも音楽の嗜好が変わっただけなのかな?
昔は演歌ばかりだったけど。


ジャズの話を父からされる度に、
”何がジャズだよ・・・”
と思っている自分がいる。