最終更新 2016年7月4日


先日も少しだけ触れたこと

で、非常に困っている。


早く来年の初旬になりたい。
早く転院先で相談したい。
相談してもどうにもならない可能性もゼロじゃないけど、
とにかく病院で話したい。
話して、症状を少しでもいいから緩和させてくれる薬があれば
処方してほしい。


精神的にヤバくなりそう。


来年こうしたいとか、ああしたいとか、
ここで書いたところで、
いつも私は「口だけで実行が伴わない」から。


どうせ来年も同じことの繰り返しだと思う・・・。


あした、ブログを書けるかどうか、
書く時間もあるかどうかわからないので、
年内は一応これでおしまいm(_ _)m



最終更新 2016年7月4日


もうすぐ夫が帰宅すると思うので、サクッと。


小学校4年か5年か6年か(担任は3年間同じ)。
いつも、だいたい完食できる給食が、
その日は何故か食が進まず食べられなかった。


同級生はみな、給食を終え、
校庭に遊びに行ったり、思い思いに過ごしている。


私は、完食できていないため、
担任のセンコー(以前も書いたけど、コイツが大嫌い)が、
休み時間を与えてくれなかった。
どういう風に言われたか忘れたが、とにかく、
「食べ終えなさい」という話だったと思う。


一人で椅子に座って、
自分の机の上の給食を前にしている自分。
でもどうしても食べられない。


確か、揚げパンだったような記憶がある。
揚げパンは好きなのでいつも難なく食べていた。
何故食べられないのか自分でも全くわからなかった。


そうこうしているうちに、
休み時間も終わってしまった。
これも、どういう風に言われたか覚えていないが、
「食べられないなら仕方ないから片付けなさい」
的なことをセンコーから言われたと思う。


私は翌日か翌々日に学校を休んだ。
風邪だった。


バカ担任。
子供の気持ちになって考えられない、
子供の気持ちに寄り添えないセンコー。


ありえないな。
人選まちがえましたな、あの小学校は。
あんな奴が担任やってんだから。
おかしいだろ。
「具合でも悪いのかな?」
の一言も、そいつからなかった。

それとも私のほうから、
「いつも食べられるのに食べられないんです」
くらい言わなくちゃイカンかったのか?

あいにく、そんな賢いアタマじゃないんでね・・・。

私の周りには、親以外にも、
変な大人が何人かいた。
この担任のセンコーもそうだし、
過去ログでも書いたけど、
ものすごーーーーーく厳しすぎる、
異常にヒステリックなピアノのセンコーもいて。
コイツには毎週のように泣かされていた。

左手の甲にも痣を作ったことがあるし、
左頬を軽く平手で一度だけ叩かれた事もある。

このピアノのセンコーは、
今で言ったら児童虐待のうちに入るだろう。

私の左側で、
私の左耳が遠くなりそうなくらい、
大きな声で叱り飛ばす(怒号に近い)ヒスババア。
頭がおかしい。

担任のセンコーよりも、
このピアノ教師とのやりとりのほうが、
もしかしたら幼少期の私に、かなり傷を作ったかもしれないな。
ピアノレッスンの後、
夜道を泣きながら帰ったことも数知れず。

私がレッスンから泣きながら帰ったことを、
おそらく知っていながら、
そのピアノを絶対に
やめさせてくれなかった母親も同罪だ。



おわり。








落涙するのは、
クリスマスだろうとなんだろうと、
私の場合は変わらない。


よそのブログを幾つか読み、
自分に向けられた言葉ではないのに、
”怖いなぁ・・・(-ω-;) ” 
と少しショックを受けたり、
”あぁ、この人はもう、私みたいな症状ではなくて、
だいぶ脱出したんだな・・・” 
と思ったら、
取り残されたような感覚になって少し寂しく感じたり・・・。

いろいろある。

笑顔で過ごしてる人も、
私みたいに沈んでる塞ぎこんでる人も。


メリークリスマス。





2015.12.24 悪化
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最終更新 2016年7月4日


”「一般常識なし」の後日談は、また改めて打つとして・・・”
などと書いていたけど、
私自身も翌日は列席しなかったし(しかも至極個人的な理由で)、
どこまで書いてよいものやら・・・。


私自身に関しては、
”やっぱり恥をかいたな…”
”オタオタしてたな…”
”やっちまった・・・・!”

と自覚した箇所が少なくとも5個ほどあった。
いや、もっとあったかもしれない。


勤めをやめて、社会から逃げている生活を十数年。
そのように逃げ続けた(続けている)ぶん、
今回は(も?)生き恥を晒したようなものだ。


控室に入って、
喪主と話すのですらためらいがあった。
私の記憶だと、
たぶん30年くらいは会ってなかったと思う。
夫には、「挨拶しなくていいの?」
と小声で何度か促されていた。


しかし、喪主と、いとこが話し込んでいるところに、
割って入る勇気がなく、
結局喪主と二人だけで話せたのは、
そこから30分以上も経ってからだった。
同じ控室にいたのに、喪主と話さないなんて、
夫ならまずやらないだろうなと思う。

私は完全に「話すタイミングを逃した」という感じだった。


夫に言わせると
「そういう場合は割って入って、3人で話せばいいんだよ」
とのことなのだが、
私には無理だった・・・(´;ω;`)


もしかしたら内心は緊張しているのかもしれないが、
仕事上、たくさんのお客さんと会話してきている夫は、
私から見ると、
初見の人とも普通に会話ができていた。
公の場でも、こなせる人は多分こなせるのだ。
緊張していても、ある程度のところまでは。


私は、ほんとうにダメダメだった。
初見の人とも、会話も途中で止まったりしたし、
止まった後に、どのように続けていいのかわからず、
1~2秒ほど沈黙が流れた。
自分から「話をふること」が出来ない。
雑談ができないのだ。
ゼロではないのだが雑談は苦手だ。
(発達障害あるある?)


しかも、この「初見の方」というのが、
実は初見ではなく、
私が過去に小さい頃に会った方だそうなのだが、
本当に申し訳ないのだが、全く記憶がないのだ・・・。
会った回数が少なかったのか、そこもわからないのだが、
とにかく本当に申し訳ない・・・。
まるで記憶がない・・・。


自分の母親が、
今の自分と同じ年齢の時には、
もっとマトモに他人と会話できていた記憶がある。
ソトヅラとは言え、それなりの大人の対応という感じで。


私はなんでこんなにダメダメな人間なんだろう?
これはもう、家庭環境とか育ちとかの、
ACとは全く無関係では???


いとことは、
少しは緊張はしたけど(滅多に会わないし)、
小さい頃から一緒に遊んでいたので、
それなりに会話は続けることが出来たのだが、
でもそれも、
通夜の後の食事(「お斎」が正式名称だったことを、いまググッて
初めてわかったという体たらく)で、
私も少しアルコールが少し入っていたから、
酔いにまかせて会話できたのであって、
普段は飲酒のことで夫のことを色々書いている私こそ、
アルコールがもし入ってなかったら、
いとことも普通の会話が難しかったんじゃないかと思う。



言い訳だけど、全く飲めないわけじゃないが私は普段から酒を殆ど飲まない。



さっきの、私が緊張してしまった初見の方をお見送りする時には、
酒のチカラで、自分の顔のこわばりが
ほぼなくなっている自覚があった。


お見送りの際は私を含めて7~8人いて、
そこで5分ほどみんな立ち話のようなものをしていたが、
私は会話には加わらなかったが、
立ったまま(たぶん)笑顔で、そこに立っていた。
”やたらニヤニヤしちゃってるかなぁ・・・”
などとも心の中で思った。


シラフの自分だったら、そんなことありえない……。
シラフだったらおそらく、
逃げ出したくなる状況だろうと思う。



うちの母親側の親族って、義理側も含めて、
やっぱりどこかが変なんだろうか。

確かに、母親側の親族で、
病に伏せている人が2名おり、
徒歩も困難なので列席は絶対に無理だ。

でもそれぞれの伴侶が、
代表で列席するという事も無かった。

こんな光景は、
おそらく、夫の実母や親族側から見たら、
ビックリな状況だろうと思う。


もう、この私の年齢では、
今後、お祝いの席に出席することは、
殆どゼロに近いと思う。
あったとしても、
夫の甥と姪くらいかもしれない。
これから先はもう、ほぼ「列席」の方になるだろう。


しかし「場数を踏めばなんとか」というものではない。


私はこれから先も、
列席した時に同じことをやらかすのだろうか?
今回は夫がいたから、まだ少しはよかったようなものの、
夫がそばにいなかったら、
もっとアタフタアタフタしていたことは目に見えている。


あ~~なんでこんなに自立できてないんだろう???
なんで対人恐怖症なんだろう?????
なんでこんなダメダメなまま仕上がったんだろう??



最終更新 2016年7月4日


今まで2~3回、ふっと思い出しては、
また忘れてしまってブログに残してなかったので、
忘れないうちに記録しておきたい。


以前過去ログの「父親による病的な悪口」

という話を書いたんだけど、
過去に私が同僚にやってしまったことと、
ほぼ似てる…というか同じ???と感じた件がある。


30代はじめくらいの頃に勤めていた職場で、
同年齢の同僚がいた。
部署は違っていたが、
たまにお昼を一緒にとっていた(だいたいお店で)。


私はその当時の担当の仕事に大変な不満をもっており、
さらに、仕事もマトモにできないくせに (← 私のこと)、
私なりに仕事を円滑に進めたい・・・という希望をもっており、
私の上司に相談したことが数回あった。

しかしその上司は
「そんなこと考えなくていいから。
(君はパートなんだから機械的に数えてりゃいいんだよ)」

この()の中は想像。暗にそんな風に言われている気がした



・・・・と上から目線で一掃されてしまう等、
全く仕事の不満を解決できないまま、
毎日流されながら仕事をしていた。


その上司も問題のある人で、
他部署をたらい回しされて、
最終的にうちの部署にやってきた人だった。


そんな人が私の上司に付いたため、
おそらくこの会社「でも」、
仕事のミスは多い、まともに仕事もこなせない私を、
辞めさせたいのだなと薄々感じていた。


でもそう簡単に「辞めます!」というのも勇気が必要で、
”自分が退職しない限り、
ずっとこの男がの下で私は働くんだ?”
という焦燥感と絶望感だけは、いっぱしに思っていた。


また、家に帰っても、
隣家のドアをバーン!と閉める音や、
そこの子供のはしゃぐ声、走り回る音などで、
精神的に、現在以上に不安定になっていた。
(現在よりも、もっとボロ賃貸)


だからと言って、むやみやたらに、
他者に愚痴や不満を吐き出していい、というものではないけど・・・。


私は、自分で本気で解決する気がないくせに、
愚痴だけは誰かにぶつけたかったのだった。
その被害者の一人が、
前述の、同年齢の同僚だったと思う。


私は食事中に、
仕事の愚痴を言うことがとても多かった。
最初の頃は彼女も、
「うんうん」と聞いてくれていたと思う(たぶん)。


でも内心、イヤだったのだろう。
記憶がおぼろげなのでハッキリと一語一句正確じゃないが、

「もうサー。
そろそろ悪口いうのやめない?
せっかく外でゴハン食べに来てるのにさー。
聞かされているほうもたまんないよ(-д- )」



・・・というような言葉だったと思う。



これはそのまま、
今の私が、うちの父に抱いている気持ちとおんなじだ。


私はこうして、
父親と全く同じことを、他者にしていたのだ。
また、被害(?)に遭った人は、先の同僚だけじゃない。
社内とかそういうことは関係なく、他に何人もいる。


私はずいぶん前の日記で、

”みんな離れてくわけだよねーーーwwwwwww”

などと自虐的に書いていたが、
毎回毎回愚痴や不満ばかり、他者に垂れ流していたら(いたとしたら)、
そりゃ「あの人ともう喋りたくない」
「うっとうしい」
「ネガティブな話ばっかり」
などで離れて行くだろう。


私が父から離れたいのと同じように。


先の、ハッキリと三行半を叩きつけてきた同僚とは、
その後どうなったかというと、
ギクシャクしてしまって(私だけかもしれないが)、
あまり話さなくなってしまった。
お昼を一緒に摂ることもなくなった。


もしかしたらその同僚の中で、
”はっきり私の気持ちを伝えたとしても、
そんなことで簡単に疎遠になるような間柄じゃないだろう”
・・・という読みのようなものがあったのだろうか。

それとも、
”ダメになるかもしれないけど、それならそれでいいや”
という想いがあったのか。


そんなことを気にしたところで、相手の考えていることなど、
エスパーじゃないんだからわかるわけがないし、
もうやってしまったことだし、
彼女の中で私の印象は、
たぶん「最悪」なままで残っただろう。


もう連絡先もわからないし、
いまどこで何をしているかも知らない。


だけど、ごめんなさい。
ここで言っても、どうしようもないけど、
すみませんでした。



2015.12.22 ヒキの外出。
最終更新 2016年7月4日



一般常識なし
の後日談は、また改めて打とうかと思うけど、
今日の午後にまた外出しなくてはならない。


でもとりあえず、現時点(午前11時半過ぎ)では、
「まだ」鬱々とした気分は起きていない。


まあ・・・体調の急変は私のお約束(汗)なので、
このあとの1~2時間後にどうなっているかは
自分でも全く予測ができないけど・・・。


この間の時だって、
起床直後はなんともなかったのに、
そのあと1時間くらい経ったら
いきなり気持ちが鬱々としてきて閉塞感バリバリだったし・・・。


ただ、今日は現地で友人と待ち合わせてから向かうので、
ドタキャンは好ましくない。
このまま騙し騙しに午後まで過ごせて、化粧などの支度を終え、
すっと出かけられたら…と思う。


過去にも書いたことがあったので重複してしまうけど、
日々の殆どをヒキってる状態なので、
私の場合、”たまに電車に乗って遠出” となると、
やはり心身ともに落ちてしまうようだ。


特に私一人で電車に乗って出かける場合、
数日前、または10日~2週間ぐらい前から、
緊張感のようなものが訪れ、
胃の辺りが、またお約束でゴニョゴニョ始めたり、
胃酸が出てきてしまったりする。


きのうと、おとといなんかも、
朝おきて布団から出て居間に来たあと、
すぐにまた一時間くらい、
掛布団一枚だけ上に掛けて横になっていた。


”動けない” みたいな感じだった。

たぶん「(><; )うーんうーん」な顔をしてたと思う。


その「うーんうーん」も、
午前11時頃には、だいぶ安定して、
アイロンをかけたり等の準備を始めることができていた。
何をきっかけにして、そう出来たのかは、
やっぱり、この間と同様、思い出せない。


”動けない”
というか、きのうとおとといの場合は、
”動きたくない”
の方だったのかもしれない。
「本当は行きたくない」
などと過去ログでも書いてしまっていたし…。


夫に対する甘えも出てくる。

”私、行きたくないのよー。この様子を見て見て!
うーんうーん(><; )唸ってます” 
みたいな「困ったBBA」 丸出し。

そしてまた、予想通りなんだけど、
「調子悪いの?」などの声かけもゼロΣ(´∀`;)


いずれにしろ、
一か月の間で電車に3回乗るというのは、
今の私にとっては大変イレギュラーなことで、
正直いうと、やっぱりしんどい。
平気で半年も電車に乗らないような人間が、
「一か月に3回乗車」というのは・・・。


その3回のうち、2回は、
自分の趣味の範囲のことなんだけど、
そのように、自分で好きで入れた予定だとしても、
やっぱりしんどい。


この、趣味を本当に断った場合、
私は今よりももっと、
電車に乗らなくなる可能性があるので、
外出前の億劫が毎回毎回襲ってきて辛くてしょうがなくても、
とりあえず予定を入れてしまって、
出かけているという感じ・・・。
修行なんて言ったら大袈裟だけど・・・。
少しでも「電車に乗る機会」を敢えて作っているというか・・・。







最終更新 2016年7月4日


夫の同僚で、
鬱を数年患いつつ出勤している人がいるんだけど、
どうも夫は、その人に対し、
”自分にも不安定なところ(PD)があったが、それを克服したような話” 
を、その人にしたらしい。


しかし本当のところは、
夫は勝手な自己判断で通院をやめ、
一か月分もらった薬も飲まずに終わらせた。
だから克服はしていない。


夫は、励ましたいつもりで、その人に言ったのかもしれないが、
言われたほうは、
もっと落ち込んでしまうだけだ・・・。


そして、
”自分で治した(・・・と勝手に思っている)” と、
自負(実は勘違いだけど)している分、
AC気質もあってか、
他人に厳しいところがあると思う。


私に対しても、そんな対応がよくある。

”逃げる”
”甘え”

・・・と受け取っているフシが感じられる。



私が、法事に行くことが強めの心の負担になっていることなど、
夫はきっと思いもしないだろう。


仮に気づいていても、
”でも行くんだよ”
”でもやらなくちゃいけないんだよ” 的な感じであると思う・・・。


そのあたりのことで、
優しい言葉なども夫からは貰えない。


今日も、朝の7時台からすでに飲酒してたし、
喫煙しながらテレビみるか携帯ゲームで遊んでるか。


自分のことで精一杯(本人はおそらく
「精一杯」などと意識していない)な夫に、
私への気遣いを求めても無理だと、
まだまだ私は頭でしかわかっていなくて。


相変わらず、

”わかってくれよ、少しは理解してくれよ”

と求めてしまう。





最終更新 2016年7月4日


胃が妙にニョゴニョゴする。
うまく言葉で言い表せないけど、
突っ張る感じというか、引きつってるみたいな・・・。


本当はこんなこと言ってはいけないんだけど、
出来るなら行きたくない・・・。
行かなくちゃいけない用事のことを考え出した途端に、
冒頭のように変な状態になってきた。


なんで日本って、しきたりが多いんだろう?
ただ、服装に関しては、
ある程度の「決まり」を設けないと、
派手な色の服を着てくる・・・という人も
出てきてしまうかもしれないし・・・。


引きもこりの人々は、冠婚葬祭はどうしてるのだろう?


今回の場合、
”うちの母の時に参列してくれたから・・・”
というのがあって、私も伺うのだが、


もしそうではなかったら、行かなかったかもしれない。
もう何十年も会ってないし会話もしてないし。
(それだと、
本当は具合など大して悪いわけでもないのに、
言い訳にしてお見舞いに行かなかった父と、
「わたし仕事だから無理だもん」
などと言い訳をした姉と、なんら変わりない)



さっき、あるサイトで、お悔みの言葉の一例を見たけど、
思わずメモってしまった・・・。
記憶しなくちゃならない。
自然に出てこない。


少し贅肉が付いてしまったのもあって、
黒いカーディガンと、
黒いズボンと、
黒い靴と、
インナーは黒のタートルネック(ユ○○ロ製)


・・・にしようかなと思って、


「そんな感じでもいいよね」
と夫に訊ねたら、


「ちゃんと喪服着たほうがいいんじゃない?親族だし・・・」


・・・と言われてしまった。


心の中で、
”それは、世の中の決まりなの?”
”あなたの中だけの、
親から譲り受けた決まりなんじゃないの?”

と思ってしまった。



だったら夫に聞くなよ、最初から。
自分で判断しないで他者の意見を聞いたのが間違いだろ。




私がふがいない人間なので、
夫には当日、
色々と助けてもらうかもしれないのに、
ヘタに反論して、
突き放されてしまってもヤバイので    ← 共依存バリバリ

しょうがないので、喪服で行くことにした。


結局コレwww




実は以前、母親の法事に行く当日の朝に、
理由は忘れたが夫婦で結構デカい口喧嘩になり、
突然夫が「俺いかない」と言い出して、
居間にずっと横になって、テコでも動かなくなったことがあった。

私が低姿勢になって必死でお願いしたという経緯がある。
夫を説得するのに1時間以上かかった。

夫は当時、
”俺が行かないとお前が恥をかくよな?
かけばいいんだ。困るのはお前だ” 
などと思ってたんじゃないかと思う。
私がオタオタするのをわかっていて、
法事を拒否したのだと思う。


さっき久しぶりに喪服に袖を通したけど、
やっぱりパッツンパッツンだ・・・(-ω-;)
寒い・・・。
スカートなんて普段ほとんど履かないから寒い・・・。


喪服をケースに入れて持っていくのも荷物になって面倒だから、
着てったほうが楽なんだけど、
持って行っても、
着替える場所があるかどうかもわからないから、
やっぱり寒いけど直接来て行くか・・・。





一文字だけだなんて、とても無理なので、
幾つか書き出してみる(順不同)。


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「親」



「恨」



「憎」



「怒」



「疲」



「闘」



「夫」



「諍」



「涙」



「酒」



「煙」



「指」



「嘘」



「眠」



「朝」



「光」



「歩」



「変」



「生」



「考」



「激」



「停」



「鬱」



「病」



「動」



「胃」



「船」



「臍」



「切」









・・・てか、これ熟語でもいいんじゃね?って感じw

それに、来年も再来年も当てはまりそうな漢字ばかり。